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文芸誌の連載ものは読んでいる人いるのか?

◆新連載
TRY48/中森明夫
第1章 寺山修司・85歳、アイドルグループをプロデュースする
あの虚構の巨人が生きていた! 異色の想像力が失われた文化の熱狂を再生させ、未知の物語を解き放つ。

◆新連作
彼女のことを知っている(100枚)/ 黒川 創
フリーセックス。ウーマン・リブ。 70年代に京都の喫茶店で出会った、彼ら彼女らが目ざしたものは、何がどこまで達成されたのか。

◆新潮新人賞受賞第一作
アンド・ソングス(230枚)/小池水音
彼女(ミーマ)はうたう。家族のために、自分のために。一度失われた声は"永遠の響き"を取り戻すか? 気鋭が描き出す、ひとりの歌手の人生の旋律。

◆緑陰/日和聡子
新所さんは、わたしの命綱です――誰にも訊けない謎を抱えて今日も彼女に会いに行く。

◆能十番 日英現代語訳 番外篇一・善知鳥/いとうせいこう+ジェイ・ルービン

TRY48/中森明夫
寺山修司が存命でAKB48に対抗してTRY48というアイドルグループを作る話。そうなんだ今原作大賞で書こうとしている短歌小説の参考にしようと思ったのだ。二番煎じではないから。

まだ物語が展開していく前の序章という感じ。ヒントになるところはあった。サブカル解説者の登場人物がいた。そうだ短歌解説者の登場人物が必要かもと思ったのだ。

特に寺山修司についてのサブ・カル的解説でアンディ・ウォーホルと比較図を載せて寺山修司がわからない人でもわかるように説明してある(もっともアンディ・ウォーホルを知っている必要があるが。)まあ、アメリカの最大のポップアーティストと匹敵するぐらいの日本人作家ということがわかればいいのかも。

寺山修司が昭和天皇崩御の時の短歌を載せてあった。

マッチ擦るつかのま皇居(もり)に霧ふかし見捨つるほどの昭和はありや  1989年1月7日  寺山修司

中森明夫『TRY48』

ちなみに寺山修司が亡くなったのは1983年5月4日で、これは中森明夫のパロディだ。寺山修司の短歌がそれまでの偉大な作者のカット&ペーストでいかにもポップアーティストという感じだけど、当時は剽窃として非難を浴びた。

いまではサンプリングという手法もあるし、その中で個人のメッセージを伝えるのも可能だ。もともと言葉なんて誰かの言葉なんだし、誰もが先人の模倣から入るものだ。その中で微妙な組み合わせの調性とか差異が出てくるのであって、ピアノの鍵盤には限界がありコードにも限りがあるのにオリジナル曲が作れるわけだった。
まあ、今のJポップはどれも似たメロディーばっか似た歌手ばっかと思うのは年取ってしまった感性なのだろう。もう娘。とAKBの差異どころか坂娘シリーズのメンバーの違いをわからないおじさんはついていけないである(はっきりわいはついていけてない)。

彼女のことを知っている(100枚)/ 黒川 創
これも連載小説なのだが、マイブームであるフェミニズムの考察できる小説家もしれない。

それはウーマンリブの時代の初期のフェミニズムの女性たちの動向が伺えるからである。その中にサルトルとボーヴォワールの関係が出てきて、それがフリーセックス時代のカップルとされてきたのだが、上野千鶴子によるとボーヴォワールはサルトルのフリーセックスには嫉妬の感情があり、女性の身体的な負担と男性のそれとは違うということに気づいたという。

例えば黒川創のこの小説にも出てくるが女性の妊娠問題では男は無関心にそっぽを向き女性たちで解決するしかなかった。

妊娠期間中の相手の浮気という問題もあるだろう。そこには自由思想でありながら家父長制的なものは払拭出来なかったのである。そのとき置き去りにされる妻(元妻たち)は男からそっぽを向かれるのである。

当時の男が書いた中絶小説もあるが男の都合のいいように終わる。あるいは、ザンブレノ・ケイト『ヒロインズ』で指摘されているように、女性はボロボロに肉体も精神も(身体的に)破壊されていくのだ。

「詩人ちゃん・キル・ミー(十二)」最果タヒ

「キル・ミー」という「詩人ちゃん」が世相を詠むシリーズなのかな。十二というのは連載の数だろう。今回はロシアのウクライナ侵攻がテーマであり、短歌では時時詠としてよく詠まれていたが詩では初めて目にするかも。かつてはこういう社会詠的な詩は多かったと思うのだが、今はプライベートな生活詠が多いような気がする。noteでもウクライナ侵攻の個人の詩は読んでなかった。

ただ最果タヒの詩は、戦争のあちら側の世界と日本のこちら側の世界を対比させて、一方的に反戦やイデオロギーを詠うのではなく、むしろそのイデオロギーから距離を置く感じをイメージする、それは戦争で人を殺すことと言葉で何かを殺すことの綾のような、そうした世界であちら側と繋がっている身体感みたいなもの。それは精神世界に影響してくる戦争という悲劇性みたいなものかもしれない。

やさしいといわれるたびに私の内蔵は溶けてどろどろになり、流れ出していく私は空っぽの鍾乳洞のようになって 涙だけが一つのつららをつくっていく (略) 死がすき 死がくることがすき でもとても怖いの 私は死ぬとき きっと ものすごい痛い思いをする

「詩人ちゃん・キル・ミー(十二)」「つらら」

◆能十番 日英現代語訳 番外篇一・善知鳥/いとうせいこう+ジェイ・ルービン
 
能の題目「善知鳥(うとう)」をいとうせいこうが現代語訳、ジェイ・ルービンが英訳にするという試み。英訳の方も読めばいいのだけど英語は苦手なんで素通り。英訳にすることで日本語の曖昧な人称が明確になるというのは、やはり影響あるものなんだろうな。能は幽霊の話が多いし。
 「善知鳥(うとう)」は鳥を撃つ猟師が殺生を重ねた結果成仏出来ずに彷徨うという話。それで衣服を妻に見せて成仏させて欲しいと願うのだが。仏教説話を能にした感じなのか?
 輪廻転生で善知鳥(うとう)は鷹にになり、猟師は雉になって逃げ惑うという内容。僧侶の念仏も通用しなかった。だから何なんだ?殺生はするなということなんだけど、これは職業だからな。兵隊に行って殺生するなということと同じだよな。そうか、それでも殺生するなということか。


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