シン・短歌レッス54
今日の一句
アゲハ蝶というより夏蝶というイメージが強いのは寺山修司の歌が好きなせいかも。
この歌をパクって、「うたの日」に出したのがこれだった。調べたついでに「罠」で投稿してしまった。わなわな。
それから進歩しているのだろうか?再び蝶に挑戦なんちゃって。でも今回は俳句か川柳でした。
塚本邦雄が選ぶ名歌
塚本邦雄『花月五百年』から。古今集以後は食べ物の歌が少なるという。儀式的な若菜を捧げるという歌は多いそうなのだが、ただ食べ物を歌ったという歌を探して見るとないそうなのである。この歌は『伊勢物語』で女が男を引き止めるために読んだ歌なので厳密には恋の歌なのだが、海の幸を男に捧げたいという乙女心の現代の歌(肉じゃがを歌うとか?)に通じるものがある。
藤原定家模範十首
コレクション日本歌人選『藤原定家』から。藤原定家は恋の歌のプロフェショナルということだから期待してしまう。
塚本邦雄が定家を揶揄するのは、和歌の伝統が家元制度にあるような、例えば俊成がまだ未熟な定家を取りなすとか定家の息子たちのその後の活躍などもあるが、そういことを抜きにして、定家の歌風を本歌取りと捉えるなら、それは和歌史の中では大きな改革であったのだ。そこに塚本邦雄は注目したのだった。定家17歳の歌。
本歌は
紀貫之の歌をパロっているのだが、わずか17歳で歌仙中の歌仙というべき紀貫之に楯突いているのだ。その気概だけでも只者じゃない。それを父俊成の判者の前で詠んだのだ。
中秋の名月という和歌の伝統的な主題である。この年に平清盛が没して、頼朝の時代になりつつある激動の世にあって天は変わるものなく、秋だと知らしめる月の光を称える。
西行の伊勢神宮に奉納する『二見浦百首』に応じたもので、西行への「桜」の歌での挨拶(尊敬の念)になっている。本歌は素性法師の『古今集 雑下』
「三夕(さんせき)の歌(夕暮れの三大傑作)」として知られ、「花も紅葉もなかりけり」という言葉の残像感によって、後句の「浦の苫屋の秋の夕暮れ」が引き立ってくる。
これも『二見浦百首』で詠んだ「夕暮」の歌。よっぽど夕暮れが好きな夕暮れオジサンかと思ったら、この作中主体は女性であるという。部屋で愛人を待っているのだった。「夕ぐれ族」の走りか?
定家26歳の「遭不遭恋(あいてあわざるこい)」。恋歌は事実である必要はなく想像も可という。まあ、これも想像だろう。作中主体を男にするか女にするかで解釈が分かれたそうである。夢になった逢瀬と考えると女性の方がロマンチックに読めるが。男だと「しゃらくさい」となりそうな。
上三句まで「なる」の序詞。「なる」は「鳴る」と「慣る」の意味を持つという。これも作中主体は男・女どちらでも読めるという。これは男だと思う。須磨の海女に喩えた序詞があるのだから。女性が風のようにすり抜けたと解釈するのが妥当だと思う。
これは通いの男が来ないで歎く女性の歌だという。鴨長明が『新古今』での優れた三首のうちの一つ。「ながむらん」は相手の女性も同じ気持ちだと推量しているという。相手の女は同じ月を見てもセックスで満たされた後なんだな。同じ月を眺めていても別の気持ちという。そう思うと確かに面白い。
犬が飼われていた和歌は珍しいという。『源氏物語 浮舟』に薫が浮舟を隠した家の犬が吠え、匂宮が近づけないというシーンがあったそうだ。まったく覚えてなかった。定家は『源氏物語』を詠んだ歌が多いのだ。
定家が創作した『松浦宮物語』の和歌である。唐の内乱中に姫君と恋愛におちいる物語としては不発だったそうであるが、歌は式子内親王を想っていた歌だとする。
山頭火の句
山頭火の自選第一句。山頭火が出家した瑞泉寺は通称「味取観音」と言った。その山林生活の寂しさと自己を自然の一部として読んだ観音経なのであった。
出家したが煩悩は消えず放浪の旅に出る。その実景。
山頭火の自由律は説明がいらないな。行乞(ぎょうこつ)という乞食坊主として托鉢して歩く。ただひたすら歩く。 ひたすら人々の前で「観音経」を唱えたということである。
放哉の「咳をしても一人」という句を読んでだと思ったがもう一つ「からすがだまつてとんで行った」という句だという。放哉は黙して自分は啼いてばかりということらしい。たぶんに山頭火の中の放哉は理想化されすぎていると思う。
「生死」は仏教用語で「しょうじ」と読む。前書きに「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義)」。修証義は道元『正法眼蔵』のダイジェスト版。同じ時の句に、
酒好きの水好きだそうだ。二日酔いの後の山水の美味さか?同じく晩年の水の句。
映画短歌
『イージー・ライダー』
「ハッパ64」にはあまり意味がないが葉っぱ(マリファナ)と年齢を掛けたのだった。
うたの日
5♪でした。♡は取れんな。あまり進歩してない。
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