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人形(ひとがた)としての浮舟

『源氏物語 53 浮舟』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第51帖「浮舟」。二条院で見かけた浮舟を忘れられない匂宮は、薫が宇治に隠していることを突き止めた。中々会いに行けない薫に成りすまして強引に契りを交わしてしまう。母にも相談出来ず、薫にも秘密が知られてしまい、情熱的な匂宮と真摯な薫の板挟みになり追いつめられた浮舟は、宇治川に身を投げようと決意する。平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編古典小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。

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52帖の『東屋』で重要なことを書き忘れていたのだが薫は浮舟を人形(ひとがた)と言っているのは、大君のである。人形とは、亡き人の魂を供養するために精霊流しする人形である。宇治の屋敷を八の宮や大君の供養する本尊に改装しようとしていたのである。そこに人形である浮舟を連れて行ったのだ。そして、宇治に行くには川を上っていかねばならなかった。

浮舟の入水するのはすでに『東屋』で伏線として用意されていたのだ。ちなみに私は浮舟のイメージを松田聖子だと印象付けたのは映画『千年の恋 ひかる源氏物語』を見たからだ。

松田聖子の浮舟は舟に乗って挿入歌を歌うだけのシーンで際どいシーンなどなかった。それが映画的にはラスト近くで印象に残るのだ。朧月のような浮舟の舟は沖合(川だと思うが池のようにも感じた)に消えていく。そこでは入水というよりしがらみの貴族社会を脱出した自由な女の姿として描いていた。

ただ紫式部が描いた浮舟はそれとは逆である。中の君の薫を慕う気持ちと母上の宮こそ最高の地位なのだというプライド(このへんはエリート信者の教育ママ的である)を信じ込ませて育て上げられたので、薫と匂宮との間で葛藤するのは当然なのだった。

その浮舟を薫は大君の代わりとし匂宮はプライド(薫に対してのだろう)の発露としてものにしたいと考えているのである。浮舟の悲劇は女性の立場は、慰み者として子供を産めばその庇護の元地位を得られる。ただ浮舟の母上の場合、宮と関係して娘を産んでもの認知されなかったのだ。その恨みがプライドとして浮舟を育て上げてきたと思う。人形のように。

そして浮舟を巡る男たちの欲望の争いも侍女たちの裏切りによって左右されるのだ。裏切りというより忠誠心がないのだ。だから侍女たちはどっちの殿がいいか勝手に噂する。そして隠してある姫の存在を露わにするのだ。その噂が宮中を徘徊していく。そして殿方の耳にも届くのであった。こうして男たちのライバル争いは火を焚きつけられていく。

薫から浮舟を奪った匂宮が浮舟を連れて行く舟の中で詠んだ歌が浮舟の由来となっている。

(匂宮)
年経(としふ)ともかはらむものか橘の小島の崎に契る心は
(浮舟)
橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ

宇治の姫の物語は橋姫伝説を元に作られていた。ただ浮舟はその人形として大君の身代わりとしての、いや『源氏物語』の女たちの人形としての供養だったのかもしれない。

そんな浮舟が最期に残した歌は母との決別の歌だった

(浮舟)
のちにまたあひ見むことを思はなむこの世の夢に心まどはで
(そしてどちらの殿宛てでもなく)木の枝に結びつける〉
鐘の音の絶ゆるひびきに音(ね)をそへてわが世尽きぬと君に伝えよ

祇園精舎の鐘の音のようではないか?


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