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影の主役シーザーの英雄の変成

『アントニーとクレオパトラ 』(新潮文庫)ウィリアム シェイクスピア (著), 福田 恒存 (翻訳)

シーザー亡き後、ローマ帝国独裁の野望を秘めるアントニーはエジプトの女王クレオパトラと恋におちる。妖女の意のままになったアントニーはオクテイヴィアスとの大海戦に敗れ、クレオパトラ自殺の虚報を信じて自殺する…。多様な事件と頻繁な場面転換を用い、陰謀渦巻くローマ帝国を舞台に、アントニーとクレオパトラの情熱と欲情を描いて四大悲劇と並び称される名作である。

福田 恒存の翻訳は、内面よりも外に現れる英雄像、それは騎士道とかのマッチョな男社会の姿である。『アントニーとクレオパトラ』と表題される戯曲なのだが、その対立軸に「シーザー」がいるのだ。すでに『ジュリアス・シーザー』でシェイクスピアは描いている。

そこに「クレオパトラ」は登場しない。史実ではエジプト遠征から凱旋した時にクレオパトラも伴っていました。クレオパトラを隷属としてローマに連れてきたのです。それがローマでは顰蹙を買う。クレオパトラが悪女とされるのは、ローマの英雄カエサルを誘惑したとされたからです。

『アントニーとクレオパトラ 』で紛らわしいのは対立するシーザーが、すでに亡きカエサルではなく、甥っ子のアウグストゥス・シーザーなのです。それならファースト名で書けばいいのに、シェイクスピアはシーザーで通す。それは『ジュリアス・シーザー』と同じ名前です。つまり、ここでのシーザーはジュリアス・シーザーの不滅性を醸し出すために、そうしたとしか思えない。英雄とのしてのシーザーの不滅神話を打ち立てた。そこに女が介入するのは部が悪い。最初のシーザーは、女によって破滅した(『アントニーとクレオパトラ 』ではそうです)。しかし復活したシーザーはクレオパトラの誘惑を受け付けない英雄として描かれる。

アントニーの優柔不断さは、『ジュリアス・シーザー』のブルータスと違うが、クレオパトラとの恋にうつつを抜かして、戦略を間違える。クレオパトラが出陣した船が怖気づいて逃げ出したら、アントニーが追いかけて退散したというエピソードはいい例です。

そして、クレオパトラと言えばアントニー以前にエジプト王女という使命があった。だから誘惑すると言っても策略があった。最初のシーザーを誘惑したのが(シーザーの力に屈服したのでなければ)はシーザーに対する愛の為ではなかった。それはエジプト愛のためだった。そういう意味でアントニーとも関係を結ぶのです。

しかし、アントニーはクレオパトラが悪女と知りながらもその誘惑には勝てない。そこがシーザーとの違い。そして、シーザーのローマに負けていく。それはアントニーに取ってはローマ対エジプトの闘いではない。シーザー対アントニーの個人的な闘い。だから一騎打ちを望むのです。

それも無残にも負けてしまう。それもクレオパトラの介入によって。クレオパトラの偽装死(『ロミオとジュリエット』の先駆け)は、闘いよりも愛の死(終わり)を選択させるものだった。そこで義理堅いシーザーはアントニーの臨終の言葉を受け入れて、クレオパトラを保護する約束をする。ここは、実際にはシーザーはクレオパトラと出会うときはすでに毒蛇で自死しているのですが、クレオパトラとのやり取りを入れる。なかなか最後に死なないで往生際の悪いクレオパトラのドラマになっています。クレオパトラは誰のために自死したのか?アントニーとするのは、アントニーの名誉の為です。


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