秋彼岸例年通りの霊の通り
ボケているけど紫式部。『光る君へ』は道長が偉くなってうざい感じなのであまり面白くない。
中宮に子供が出来て道長が喜ぶのも外戚関係を天皇と築くためで摂関政治の一番嫌なところをやっているのに、褒めそやす意見が多い。これはどうしたものか?ドラマだからなのか?大体中宮は自分の意志と関係なく天皇と結婚させられ子供生むだけの存在であるのだ。産む機械とされ、そうした保守的な意見の温存となっているのである。
対する中宮定子の子供が死んで清少納言は宮廷内に存在理由がなくなるのである。『枕草子』は中宮定子とのバラ色の日々を描いたのだが、その後日談としては哀れなものである。ただそれも彰子の出産の影に隠れてしまう。むしろ天皇家と繋がりがなくなった定子の父がもののけを使って彰子の出産を邪魔するという展開になっていた。
その後に彰子が無事男子を産んだので道長の天下が確実なものになり、万々歳なのである。ただ紫式部と道長の関係を疑わられるとことで終わる。
続けて「100分de名著」を見たが、『源氏物語』のウェイリー版が世界文学になったのは、シェイクスピアと「聖書」の引用で『源氏物語』の中に権威の中心を見出すのだ。それはイギリス帝国主義のオリエンタリズムであり(キリスト文化化)であり、最初の ワードロープやベッドチェンバース の訳は性的意味を含んでないはずはなく、それを感じるのは『アラビアン・ナイト』のオリエンタリズムと同じようなものなのだ。
それを笑ってしまえばそれまでなのだが、よく国文学者は怒らないのかなとも思う。『源氏物語』では天皇制から仏教の影響があり、ひとつは天皇制の女性蔑視に問題を投げかけたと思う。そういう部分はウェイリー版でも明らかになるのが最初のルビ振り訳なのである。そういう批評がなく読まないとただ『源氏物語』は世界文学かスゲーっで終わってしまうのである。例えばアトウッド『侍女の物語』を書いたのは『源氏物語』の批評性もあるとおもうのだが。
橋本治『双調平家物語2』はまだ「平家物語」の本文に入らなかった。中国篇が終わって本朝篇になるのだが、天皇制の成り立ちとして、外戚関係の蘇我氏から大化の改新(今は「 乙巳の変」としてクーデターとして捉えている)を経て藤原氏に移行することを描く。大化の改新の首謀者の一人が鎌足であり藤原氏の祖先であるとされる人物なのだ。それは仏教崇拝の蘇我氏から天皇制崇拝の藤原氏になったことで、日本の社会的基盤が築かれたということだった。そのために仏教崇拝の蘇我氏の外戚関係を絶って藤原氏の天皇制支配に成り代わっていくのだった。まったく日本史を勉強しているようだった。その中で大伴氏や物部氏の活躍が描かれることになる。大伴氏は有力豪族だったが天皇家と外戚関係が作れなかったので没落していくことになるのだ。そう考えると『万葉集』で反権力の歌も多く残された意味もそれとなく匂わせているのかもしれない。
でもなかなか読書が進まないのは腹痛だったから。この時期は朝の冷えにやられるんだよな。昨日も朝から腹痛で引きこもってしまった。急に寒くなったな。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもんだな。今日の一句。
また掛詞を使っている。これほとんどオヤジギャグと一緒で分かる人にしか分からないということが分かった。俳句は掛詞は使わない。短歌でも今は使わないのは形式が古いからだろうか?今日の一首。
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