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どくだみや藪の十字星降誕し

どくだみ、俳句では否定的なことばを嫌うので「十薬」とか使われるようだ。同じ日本を代表するハーブなのに蓬は文学になり(『源氏物語』「蓬生」が有名)、歌にも読まれたりするのだが、十薬は少ないようだ(歌はあった)。どくだみ茶はほとんどハーブティというより薬湯としてのイメージだ。また「蓬餅」は厄を払うものとされているのに、どくだみはそういう効用はないのだろう。花は可憐で綺麗なだけに名前がネックとなっているのかもしれない。

どくだみの十字に目覚め誕生日 西東三鬼

どくだみや藪の十字星降誕す 宿仮

昨日日記で書いた折口信夫『女房文学から隠者文学へ』は途中で感想をかいてしまったので早書きしてしまった。理解が浅かったかも、あとで書き直す。

『魔の山』の前編は読み終わった。けっこう難儀な読書であった。「100分de名著」がなかったら読みきれないかも。すでに第三回に入っていた。ここからまた新しい展開になるのだった。

図書館ではあまり読書が出来すラジオとYouTubeを聞いていた。『碁盤斬り』の原作落語「柳田格之進」は映画よりも面白いと思った。映画と落語は違うのだが映画にある復讐譚が落語にはなかった。だから喜劇として成り立つのだ。町人文化としてスタイル。格之進は英雄であるよりも堅物として笑いものにされているのだ。それは自分の理念のために娘を吉原に売ってしまうのだから(映画では娘が父の汚名を晴らすため自ら吉原に行ったことになっている)。そこがちゃんと見受けして(女将の人情ではなく)娘を出したということで納得が行く。当時の家父長制の話なので、現代ではそんな話は通用しないと落語でも言っていた。

映画ではエンタメとして復讐譚を入れることで時代劇の面白さを演出したようだが、あれだと悲劇にして、武士である格之進に反省をさせなければ現代劇として成立しないと思う。吉原の女将が人情で娘を汚さないで出すというのも納得が出来ない。見受けするのなら金の力ということになるのだが。落語では格之進のその後は復讐譚ではなく、武家社会で成り上がっていた(つまり娘に非情になれる人間だから汚れ仕事も執り行える武士なのだった)。
そんな格之進が碁盤を斬るのは、質屋の主人と番頭の他人なのにお互いをかばい合う人情に親子という姿に気付かされたからだ。そこで冷酷な侍が町人の仲間になるという落語のスタイル。最後の結婚式のハッピーエンドも納得がいく。縁者になったのだ。

映画は『コンパートメント No.6』。フィンランドのトレイン・ムービー(ロードムービー)。異民族の出会いと別れの映画。面白かった。梯久美子『サガレン』と似たようなものを感じさせる。

後で感想を書く。短歌だった。

裏庭の
闇の十字星
降臨す
夢の旅人
どくだみの花

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