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蜘蛛の巣の小さい秋とめておく

写真は蜘蛛の巣に引っかかった枯葉。

昨日は昼過ぎまでぐったり寝ていた。涼しくなると疲れがどっと出てくるようで。午後から暑くなったので図書館へ。

金石範『火山島 1』返却して、海野弘『プルーストの部屋 上』、『寺山修司の俳句入門』を借りる。海野弘『プルーストの部屋 上』は、横浜図書館で単行本借りているのだが、期限内で読み終わりそうもないので、文庫本を借りた。ただ文庫本だとカラー写真が載っていないのだ。

あと町田図書館で検索して、見つからないので図書館の人に聞いたら書庫にあると。そういうことだと始めて知る。図書館の仕組みも徐々にわかってくるものだった。

町田中央図書館は、この日は夕方5時まで。夜8時の時もあるし、その仕組がよくわからん。

読書。海野弘『プルーストの部屋』。海野弘は、プルーストの過去を紐解いて作品に関連付ける手法で、プルーストがサント=ブーヴでその批評の仕方を批判して、『失われた時を求めて』を書いたのだが、読書としては参考になるところもある。それは精神分析批評というものだろうか?ジルベルトのモデルとなった思春期の恋愛で、母親に禁止されたのが失恋の経験だったと書いている。それは母殺し(精神分析上の)に失敗したので、プルーストが同性愛に走ったとか。

それとアルベルチーヌの場合は、乙女たちの一人であるという意味で、個人としてではなく花のような群れとして愛でていたのだという。そのかげに苦い体験があったのだ。

それとジルベルトよりもスワン夫人の方に恋心があったというのは、プルーストの過去を恋する心情だった。それはファッションや芸術としてのモード。アルベルチーヌの登場は、実際はもっと新しく(自転車に乗る女性が現れたのは第一次世界大戦以降)、シャネルのスタイルを彷彿とさせる。活動的なスポーティな姿の女性。「花咲く乙女たちのかげ」まで。

『寺山修司の俳句入門』は寺山修司は十代で俳句を始めたのだが、それは定型詩としての確固たるスタイルを求めて。やがて俳句だけではなく、マルチ作家となるが、そういう俳句との規範の中で絶えず新しいものを求める気概があったということだ。爺臭い俳句は、読まなかった。その点寺山修司の俳句は青春時代なんで、還暦から俳句を始めたものとしては憧れに近いものを持つ。

夕方4時頃、一時間の道のりを歩いて帰る。「小さい秋」を見つけるために。


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