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「失われた時を求めて」冬の空

君は誰?たぶん、毘沙門天。七福神めぐりのまとめを書こうと思ったのだが、まだやっていない。日記で一人づつ説明していけばいいかなと安易に考えてしまっている。さて、毘沙門天はどこにあったんだろうか?記憶よりネット検索するほうが早い。浄運寺だった。一番最初に行ってネガ撮影になってしまったところだった。


だからこれは二日目の撮り直し写真ということになる。個人にはまた違った物語もあるんだけどネット検索して出てきた記事が分かりやすかった。

昨日は引きこもってそういうことをやろうと思ったのだが、俳句と短歌のレッスンに時間を取られてしまった。とくに短歌はいよいよ本気モードになってきたというか、今年の目標が塚本邦雄超えだった。

まず塚本の本から研究して『王朝百首』を読んでいる。これで『百人一首』はやったから少なくとも200首ぐらい和歌はやったことになるのだ(読み終われば)。『王朝百首』はまだ二首目だったが。その他にも『古今集』や『源氏物語』の和歌もやっていた。古典はけっこうやっているんだよな。ただ近代と現代が弱いのかもしれないと。

近代のモダニズム短歌から斉藤史。なんか興味があるのはモダニズム短歌として出発しながら2.26事件に出会って、伝統回帰していくような。思ったのだが斉藤史の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』的解釈はできないのかと。映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』見てひらめいた。

それはヴァイオレットが求める愛というものが、少佐から来ているのだが、少佐は父親代わりだった人だがヴァイオレットを戦争機械として利用した人でもあったのだ。そのへんのぐちゃぐちゃした関係性が彼の兄との関係でもあり、要は疑似家族的展開を見せるのである。戦争機械後の手紙自動人形にしても、郵便というシステムの中の疑似家族性だった。この話は映画の感想になるから、また後で。

そんなことで朝のニュースを見ていたら富士通の郵便システムの事件があったりした。これはかなりヤバい事件だと思ったのだが、それはコンピューターのシステムエラーがとんでもないことを引き起こすということ。イギリスでは騒動になっているが日本ではあまり報じられていないように思った。NHKBSの海外ニュースBBCでは盛んにやっているのだが。

今日のネットニュース(Edge)でも全然報じられていないのはどういうことなのだろう。検索すれば出てくるが、日本ではマイナンバーの不手際とかも大した問題ではないと受け止められているから、そういうことなのかなと思う。システムエラーなんて日常茶飯事で騒ぐことではないのかと。

「うたの日」でその事件を社会詠的に詠んだのだが、また無視されるんだろうな。まあ、塚本超えを目指しているから、世間から外れてしまうのはいいのだと納得するしかない。

「シン・短歌レッスン」に戻ると現代短歌史の研究として、篠弘『現代短歌史Ⅱ 前衛短歌の時代』を読み始めた。なんでⅠをやらない。まあ、前衛短歌が好きそうだったとしか言えないのだが、反「アララギ」だから仕方がない。

読書は他に筒井康隆『誰にもわかるハイデガー』を読んだ。自己を見つめ直すときって『時間論』に入っていくのが私のパターンだった。時間とは、他者によって自己がすり減らされることみたいな。他者との関係論なんだが、精神分析的にヤバい兆候だった。筒井康隆の本はそれを空談としているのだった。おしゃべり。『失われた時を求めて』の無駄話だったけど、それが人生さみたいな。文学はそうしたものとしてあるのかもしれないというのは予感としてあるのだ。哲学よりも文学だからまだいいのかもしれない。哲学をやっていたら狂人になるしかないような。

そう言えば芥川賞が九段理江だった。それはある程度予測していたのだが、受賞作を読めなかったのでただの推測にしか過ぎなかったのだが。それも他人の記事を引用しての。

そんな前兆だったのか「本が好き!」に九段理江の『schoolgirl』を上げたのだが、あまり注目されていなかった。芥川賞受賞作ではないのだが、この作品は一押しだった。

今日の一句。

時間とは本で「失われた時を求めて」  宿仮

無季だな。破調だし。もはや俳句ではないのかもしれない。逆にすれば少しは俳句らしくなるかも。

「失われた時を求めて」冬の空  宿仮

これは有季定型でも出来ることを証明した。

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