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文芸誌を読む

『文學界(2021年12月号) 特集 旅へ!』

【創作】
鴻池留衣「フェミニストのままじゃいられない」 210枚
配偶者連続殺人事件の舞台化ははたして成功するのか。予測不能のラストへと疾走する怪作!

九段理江「Schoolgirl」 文學界新人賞受賞第一作 135枚
「お母さんは空っぽだから」14歳の娘は私にそう言った。ジェネレーションZ文学ここに誕生

山下澄人「君たちはしかし再び来い」

須藤薫子「ヌマンド」(2021年下半期同人雑誌優秀作)

【対談】
東畑開人×藤崎彩織「心のトリセツ」
悩み続ける臨床心理士とアーティストが、心との付き合い方を考える

松尾スズキ×安藤玉恵「酒への遺書」
酒で破滅していく男女を描いた松尾氏の小説『矢印』を、酒への愛憎を込めて語る

【特集 「旅へ! 」】
海へ、外国へ、この地上に存在しない場所へ––––5人の作者による「読む旅」

小山田浩子「海へ」
いしいしんじ「最低で最高のジャマイカ」
宮内悠介「行かなかった旅の記録」
藤原無雨「ナムストロビア紀行」
堂園昌彦「連環する旅行記たち」

【レポート】石井光太「言葉を失った少年たち––––どん底からの国語力再生」

【巻頭表現】平岡直子「パラパラ漫画」
【エッセイ】杉野希妃「愛のまなざしを」
【コラムAuthor's Eyes】岨手由貴子「理念と実情」

【文學界図書室】小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(河野真太郎)/平松洋子『父のビスコ』(伊藤比呂美)

【強力連載陣】
平民金子/北村匡平/高橋弘希/辻原登/西村賢太/宮本輝/松浦寿輝/犬山紙子/柴田聡子/鳥澤光/綾門優季

一部話題(「高橋源一郎の飛ぶ教室」で)九段理江『Schoolgirl』を読みたく、図書館で貸出中だったので『文學界』の掲載号借りてきた。九段理江は太宰の系譜なのか?

全部読むのは大変なので気になったものベスト3

九段理江「Schoolgirl」はその為に借りてきたのだから。
石井光太「言葉を失った少年たち––––どん底からの国語力再生」は、Twitterでもフォローしている作家石井光太 (@kotaism) ·。興味深い記事。
特集は創作はいまいちだったけど堂園昌彦「連環する旅行記たち」は海外文学案内として面白かった。以上、三点。

九段理江「Schoolgirl」

いまどきの女子学生(アメリカン・スクール通い)を描いたものかと思ったら、その女子学生の母親との関係性を描いたものだった。まあ、漱石で言えば「趣味の遺伝」ということなのか?

太宰治『女生徒』を本歌取りしたような現代文学。『Schoolgirl』は、子供にしか関心がなくなった母親とその娘、アメリカンスクールに通う意識高い系の女子(グレタ・トゥンベリに影響された?)なの関係性の小説。「Schoolgirl」より「mother」のほうに重点が置かれている。

子供との関係性に悩む親は、AIにコントロールされた生活を送りながら精神科に通っている。その中で娘のYou Tubeを聞いているのだ。娘は母親がどうしてこんな受動的な人間になったか調べるためにクローゼットを覗くと太宰治の本があり、それを読んでしまう。

母親は娘のことで精神科に通っている。そこで14歳の娘になって見て下さいと言われて、暗示されたように14歳の娘になってしまう意識のまま、不倫の現場に行く(そのギャップが面白い)。

一方娘は太宰『女生徒』を否定しながらも、You Tubeで語る内容が太宰文体になっていく。娘は母親の日本語よりも英語圏で育ったので、太宰の文体が直に影響を与えてしまった。そして母親の娘時代のことを理解する。

双方歩み寄る形かと思ったが、そこに太宰治『女生徒』でそれまで「お母さん」が何度も登場してくるのに最後に「あなた」が一言だけ出てくる。そこで他者を意識することになる。それは自分の中に他者を見つけ出すことでもある。

【レポート】石井光太「言葉を失った少年たち––––どん底からの国語力再生」

中学生殺人事件の犯人の子供は、言葉が大雑把で繊細な表現が出来なかったことから、言葉を単純化してしまう思考がヘイトに結びつく。例えば「うざい」という一言だけの若者言葉で。

それを矯正施設で、国語を教え直して表現力を付けることで、単純思考でなく、表現する力を養おうとする試み。

たぶんそれはいいことなんだろうけど、恐ろしさもある。国語という教育で権力側の洗脳が行われる恐れもあるのだ。例えばそれは加害者だけが一方的に悪で、それを矯正するば正しい社会になるかと言うとそうでもないような気がする。

そういう訓練された子供は訓練したなりに従順にはなるだろう。しかしその矯正して検閲した感情は、この社会の中でいつ爆発するかもしれないのだ。社会が変わっていないのに、子供たちだけを変えていくという発想は危険だと思う。

社会で言葉を獲得するということも書かれていた。つまり社会の言葉が単純化され白黒で判断され、そこに含まれないものは排除(削除)せよとなっているのだ。子供たちが学ぶのは社会の言葉ではないのか?

【特集 「旅へ! 」】

創作はどれも面白くなかった。なんでだろう。その旅が作者のステータスの範囲でなされているからか。すでに旅ではなく、旅行なのだ。安全に戻れる場所がある。

それに比べると堂園昌彦「連環する旅行記たち」は、海外小説の文学案内なのだが、その奇想天外な旅物語は面白い。それは、まったくの創造の産物であるものもあるのだ。怪物が出てきたりするフィクションの世界。例えば『ガリバー旅行記』の類は、実際の旅日記よりも面白いというような。

その中で笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』が紹介されている。鶴見線のどん詰まりが「最果てのように」感じられたのに、実際に行ってみると家族でも行ける場所になってがっかりする。それは、モダニズムの稲垣足穂の小説を思い出させる。



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