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もののけと無常観の「源氏物語」

『新源氏物語(下)』田辺聖子 (新潮文庫)

多くの恋をし、恋心の煩悩と呪縛に苦しむ源氏は、最愛の女人・紫の上を失って、初めて愛の意味を知る。悲しみに閉ざされたままの源氏は、出家を決意する。下巻には、「花散りし梅が枝に残る匂いの巻」より「夢にも通えまぼろしの面影の巻」までを収める。遠く平安時代も、今も全く変らない恋愛心理、愛の物語「源氏物語」を、新しい現代の言葉で描いた『新源氏物語』本編、堂々完結。
目次
花散りし梅が枝に残る匂いの巻
藤のうら葉は色も褪せじの恋の巻
君がため若菜つむ恋の悲しみの巻
君がため若菜つむ恋のくるしみの巻
落葉ふる柏木の嘆きの巻
空しき調べに夢ふかき横笛の巻
つらき世をふり捨てがたき鈴虫の巻
山里の夕霧にとじこめし恋の巻
露の世の別れはかなき御法の巻
夢にも通えまぼろしの面影の巻
あとがき『源氏物語』とつきあって
主な参考文献
解説 石田百合子

他の方のレビューもある通り一番読みやすい(漫画は除外する)『源氏物語』かもしれない。後半部は出家したいという話が多いのだが、そういう無常観の文学なのか?ただ『源氏物語』には光源氏の出家は描かれておらず、「雲隠」という何も書かれていない帖があるのだが、田辺聖子はそこも描こうとしたようだ(『幻』は元々ある帖だから違うのかな?そんな論文があったのだが)。それも光源氏の愛情なのか?

田 聖 子 源 氏 物 語 体 験

光源氏が位の高い女たちに手を出して火傷はするけど、それらを押しのけて生き続ける。それは物語の力ではあるのだろうけど、光源氏の子供の世代、柏木にしても夕霧にしても神罰のようなものに立ち向かって行けなかった。

柏木が女三の宮の代わりに猫を盗み出し可愛がるというなんとも情けないというか?男の猫可愛がりは、叶わぬ恋の代用なのかもしれぬ。

柏木は無惨な死で夕霧は落ち葉の宮(これは蔑称で、女二宮もしくは朱雀院女二宮と呼ぶことも多い。)はものに出来たのか?結局、雲居の雁の掌で転がされている風である。何よりも紫の上には死後しかお目にかかれなかった。

そこに光源氏の特殊能力があり、さらに「雨夜の品定め」でその伏線は張られていたのだ(中位の女がいいと)。光源氏の若き頃の過ちとして(天皇の妻であり義理の母に手を出すのだから)、その障害を乗り越えるだけの力があったということだろう。柏木にはその力が無かった。またほとんどレイプと一緒なのは光源氏もそうなんだけど、それが男尊女卑の宮廷社会であるという現実を描こうとしたのかもしれない。最後まで六条御息所のもののけが紫の上に取り憑くというのはなんなんだろう。六条御息所は光源氏に最後まで対抗した女性なのかもしれない。

これが本当の「もののけ姫」じゃないか?娘の秋好中宮がいたたまれなく母の怨念を鎮めるために出家するという。この時代は仏教の影響があるのだろうか?

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