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秋桜の抒情の道や中山道

風邪で外に出られなかったので去年のコスモス街道だった。

「右は越後へ行く北の道、左は木曽へ行く中山道」が単なる不倫の陳腐な歌に歴史性を重ねているのか?そういうのが日本の情緒としてあるのは否定できないんだよな。『万葉集』とかそういう感じで詠まれたのかもしれない。

12時間近く寝ると体内時計も狂ってきて今何日の何時かもわからなくなる。昨日は日記を書いてすぐ寝たのでそれから一度も目覚めず眠り続けた。お陰で今日は元気になれたような。まだ本調子ではないが、食料がなかったので買い出しには行かなければ。今日は相変わらずの雨模様だから、もう一日引きこもり生活か。やりかけの「シン・俳句レッスン」と「シン・短歌レッスン」があった。録画したNHK短歌と俳句を見たから、忘れない内にやらなければならない。

詩の本で、『討議 詩の現在』という対談集を読んでいたのだが、「都市・抒情」ということで、「荒地」派の田村隆一が鎌倉に隠居したことが書いてあり、そうだ自分も隠居状態なんだと改めて思った。そのなかで並行志向として同じ年齢の地域住民として生活するというのがあり、共同体志向がそういう形になっていく。それまでは垂直思考で生活と社会問題をリンクさせていたけど、もうそういう感覚も無理になる。あまりにも時代の差を感じてしまって理解できないということなのだが、村社会もなかなか理解できないと思うのだが。その時のキーワードが「抒情」ということなのかもしれない。句会なんて、その村社会の最たるものだと思うが、どう自分が変われるかだろうな。なかなか難しいとは思うが。

「シン・現代詩レッスン」は田村隆一をやろうかな。鮎川信夫の方が好きなんだが。今日の一句。

秋桜の抒情の道や中山道 宿仮

中道がいいのかという一句だった。短歌はまたあとで。

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