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日本の抒情

『万葉秀歌 (上巻)』斎藤茂吉 (岩波新書)

「万葉集入門」として本書の右に出るものはいまだない.万葉の精神をふまえて自己の歌風を確立した一代の歌人たる著者が,約四百の秀歌を選び,簡潔にしてゆきとどいた解説を付して鑑賞の手引きを編んだ.雄渾おおらかな古代の日本人の心にふれることにより,われわれは失われたものを取り戻す.

もともと戦前に書かれた本が現在も入門書として存在するのかということだと思うが『万葉集』に日本の国家の成り立ちを見、古代日本人の心情がここにある(それは天皇家中心なのだが)と読むフィクション性は軍記物を読むように読んだら面白いのかもと思いつき、橋本治『双調 平家物語』(ちょうど「壬申の乱」について書かれているので時代背景も『万葉集』の頃だった)を読んでふと『万葉秀歌』を買ったけど読んでないことを思いだしたのである。

山越しの風を時じみ寝る夜おちず家なる妹をかけて偲ひつ 軍王

茂吉はこの「軍王」を固有名詞ではなく、大将軍の意だとする。「時じみ」は「非時」。「軍王」も妹(妻・恋人)を思うのである。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王

この歌は恋の戯れの歌と読めば何ともないが相手が大海人皇子だと知ると、この野守は持統天皇かもしれない。嫉妬深い持統天皇故にあとあと復讐されなければいいが。「壬申の乱」では娘の夫である大友皇子が殺されている。

さざなみの 志賀の 大曲 わた 淀むとも 昔の人に また逢はめやも 柿本人麻呂

持統天皇の歌がもっと多いのかと思ったら意外に少ない。それは代わりに柿本人麻呂が詠んでいたからだ。当時は天は空なるもので、それを代理する者が日本の天皇の姿だったと『双調平家物語』にあった。だから持統天皇も則天武后のような自ら天皇となったというより、天武天皇や幼い皇子たちの代理としての天皇という位置づけだという。今の天皇制の形がそこにあるのかもしれない。それは日本の天皇が空なる存在であり、それを実質動かしているのは官僚制度なのである。その律令体制ができたのが持統天皇の時代という。

ただ『万葉集』を編纂したのは大伴氏の末裔であり、彼らに取って代わるのが藤原氏なのだった。この時代は藤原不比等の時代であり藤原鎌足から引き継いだ才覚で持って藤原氏の基礎を築いていく。道長の時勢などは不比等の影響が大きいのだった。

例えば有間皇子の辞世の句や大津皇子の挽歌などは謀反者を悲劇のヒーローとして後の歌人にも影響を与えた。そういう情緒が日本人の感情として一つにまとめあげるのかと思った。


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