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塚本邦雄の仮想敵は正岡子規だった

『花月五百年 新古今天才論』塚本邦雄 (講談社文芸文庫)

最古の勅撰集・古今和歌集から新続古今和歌集まで、五百年にわたる二十一代集収録約三万五千首から、現代人の記憶に値する歌を勘案して選び抜き、書き上げた名著。

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そもそも和歌は日本語としての書き言葉ではなくただ音韻として存在したはずである。だから古今集の紀貫之の仮名序における精神に従うならば仮名で書くのが道理ではないのか?

それをあえて漢字に拘る塚本邦雄の捻れのわかりにくさ。それはユダヤ教の原典回帰を連想させる。文字がない時代のキリスト教と文字(言葉)がすべてであると伝えられたユダヤ教。その文字はすでに架空(仮名)世界(グノーシス主義)であるとするならば、和歌の概念も架空のものであり、そこに存在意義があるするのが塚原邦雄の短歌なのかもしれない。とすれば本歌取りという芸術の形こそが定家らが極めた和歌の本流?なのではないか?

塚本邦雄が後鳥羽院を褒め称えるのは定家批判としてなのか?そこがよくわからないというか、何故それほど定家を嫌うのか(これは塚本邦雄の捻れだった。本当は大好き!)?堀田善衛で定家を知ったから歌はともかく文学者としてはそれほど政治的には思えなかったのだが、塚本邦雄評は政治的に歌を利用した定家を描いているようだ。特に『新古今』で後鳥羽院が定家の歌を入れ替えたことと百人一首の定家の評価の低さ。

正岡子規から斎藤茂吉の定家嫌いについて述べながら、茂吉はその底流に幻想性(定家風)なところがあると見抜く。

あるいは塚本邦雄が「本歌取り」ついて述べているところ。塚本邦雄は藤原俊成の知識の閲覧(蘊蓄)であり、六條家(当時の主流家元)と論争したとある。その判詞を受け継いだのが定家であり、歌本来の良さよりも知識としての開陳が歌の意味を損なうということになりかねないとする。本歌を開陳する批評性は、権威を持ってきて己の才能をひけらかす和歌であるという塚本流の裏返しの批評であった。それでも彼は言葉がすべて借り物の姿であり、芸術とはそういうものだという理念から和歌を捉えている。つまり「本歌取り」を極めた定家を肯定している。

「花月五百年」は八代集の古今集や新古今の他に二十一代集までを通読した人は稀であるが、二十一代集の中にも優れた和歌があるという。だから、何?と思うのだが、暗に俺はそこまで読んでいる自慢かとも思う。別に八代集だが二十一代集だが過去の勅撰和歌集にしか過ぎない。そういう面倒なことだから近代短歌で『万葉集』こそ一番という人(正岡子規)が現れたのではないだろうか?『万葉集』は二十一代集にも入ってない!

塚本邦雄の仮想的は正岡子規だった。

関連書籍:『紀貫之 』大岡信

『写生の物語 』吉本隆明

『日本の古典をよむ(5) 古今和歌集 新古今和歌集』


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