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「アタックNo.1」のクライム・サスペンス。「エース(金)をねらえ!」でも良かった。

『黄色い家』川上未映子

十七歳の夏、親もとを出て「黄色い家」に集った少女たちは、生きていくためにカード犯罪の出し子というシノギに手を染める。危ういバランスで成り立っていた共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解し……。人はなぜ罪を犯すのか。世界が注目する作家が初めて挑む、圧巻のクライム・サスペンス。

去年の今頃図書館に予約をしてやっと借りれた本だった。期待以上に面白かった。もともと川上未映子は好きな作家で何冊か読んでいた。芥川賞を受賞した『乳と卵』から代表作と思われる『ヘヴン』まで何冊か読んでいた。過去のレビューを見ていて思い出したのだが樋口一葉『たけくらべ』の現代語訳をしていて、その文体が口語体の勢いがあって気に入ったのだった。

川上未映子の文体の魅力は、会話文もそうなのだが今風の女子高生(実際にはちょっと古いのかもしれない)文体のような、少女口語体のリズム感の良さだった。まず川上未映子の文体がどの作家に比べても読みやすいということがあると思う。単に読みやすいだけではなく思索的な深さも併せ持つのだ。

例えば金に対する哲学的対話のようなカード詐欺の親玉ヴィヴィアンとの花との会話では、金余りの日本の老人たちと搾取され続ける貧乏人の経済的システムの中で、カード詐欺という手口の合理性を説かれている(もっともこれは犯罪だが)のだ。そしてヴィヴィアンが「バカラ」賭博での体験談から金が人を幸福にするよりは、悪魔のように取り憑くものだと説明している。
この小説が犯罪ミステリーのように描かれているのだが、その中にしっかり悪の論理も説かれているのだった。

またキャラクターの魅力も、すぐにでも映画化できるような魅力的なキャラクターが描かれていた。語り手である花の世代の不幸な生い立ちの友人である蘭は、キャバクラで働くも指名が得られず仲間外れのような存在であり、桃は金持ちの娘だが落ちこぼれ高校生であり、美人の妹からも存在を否定されるほどのどうしようもないブスと思い込んでいる。そうした半端者の三人が母親代わりの黄美子の下でスナック「れもん」での共同生活はシスターフッド的な青春小説の様相で始まっていくのだった。

また花の世代の今風の女子と対比して黄美子の上の世代(バブル世代か?)も描かれ半端者の在日ヤクザ崩れの映水、クラブの金持ちのパトロンである琴美との三人の友情物語に、社会の経済システムの中で悪を働くヴィヴィアンとの関係性もバブル時代を知る仲間のようでもある(ヴィヴィアンと黄美子は友人ではなく知り合い程度の仲)。その中で黄美子が半端者同士寄り添って生きてきた歴史(バブル世代の社会と重なっていく)、はオウム真理教にのめり込む信心深い若者だったり(花が風水にのめり込むきっかけを作ったのが黄美子だった)、また花の親世代のマルチ商法の被害や、スナックの火事は阪神大震災のメタファーになっているような気がする。そして、居場所を失った今の少女たちの出会いが犯罪の下地のような環境として描かれていた。

そんな中で黄美子の魅力は最初の出会いが母(毒親)からの逃走であり、最初に蒲団のように安心して寝る場所を作ってくれたことが黄美子への信頼感であり、逆に花が黄美子を守らなくては(そこが花の居場所だったからである)という気持ちにさせるのだった。その関係性は黄美子と映水の関係性でもあり、彼らが守れなかった花世代の憧れのクラブホステスである琴美の末路(バブル崩壊)が上手くリンクしてくるのだ。その上にヴィヴィアンの資本主義経済社会システムの悪の論理があるのだった。ヴィヴィアンは、落ちこぼれ世代の成功者として描かれるのだが、それは犯罪の親だった。

ヴィヴィアンが花に説明するカード詐欺の手口で「アタックNo.1」の例で説明するのが面白い。ヴィヴィアンはコーチ役で、生徒たちを走らせる、それがカード詐欺と重なっていくのだ。つまり花たちはアタッカーであるような選手だった。しかし花は犯罪の手引したヴィヴィアンの側にいたのでコーチの指導を理解しているのだが、桃や蘭は単にしごかれている生徒にしか過ぎないとカード詐欺に対しての考え方の違いが生じる。それは花がしらずに親代わりをしていたことで、ヴィヴィアンの論理では上になるものは親であり下は子(詐欺の受け子)であるという論理である。そこに最小限の共同体としての家族の問題(親の不幸を子が肩代わりするシステム社会)も見えてくる。

そこが疑似家族小説でありクライムノベルの面白さを描いているのだった。花の不幸は結局は親離れしたと思ったらその家族を犯罪の中に抱えてしまった。それは彼らが社会からの半端者であり、社会から保護される位置にいなかったことで、また犯罪者の血筋を辿ってしまうという悲劇だった。

親(母)に見捨てられた主人公が母の知り合いである黄美子さんに優しくされ疑似家族的な家(最初はスナックだった)での親の愛情に恵めれない子たちと共同生活を始めるのだがスナックが火事になったり、カード詐欺(オレオレ詐欺の走りのような)をやるようになってから、破綻していく共同生活の夢。ゴッホの黄色い部屋のような(ゴーギャンや印象派らの)共同生活の思い込みの激しい少女とその一世代上の友情物語が描かれる。そこに落伍者の気持ちがわかると共感してしまう物語になっている。女子高生世代の会話の面白さのような文体が読みやすいのでどんどん惹きつけられていく。花の親目線で見てしまうのかも。


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