見出し画像

他人の伝記は、自伝である犀星はいう

室生犀星『我が愛する詩人の伝記』

「各詩人の人がらから潜って往って、詩を解くより外に私に方針はなかった。私はそのようにして書き、これに間違いないことを知った」。藤村、光太郎、暮鳥、白秋、朔太郎から釈迢空、千家元麿、百田宗治、堀辰雄、津村信夫、立原道造まで。親交のあった十一名の詩人の生身の姿と、その言葉に託した詩魂を優しく照射し、いまなお深く胸を打つ、毎日出版文化賞受賞の名作。

近代詩の中心的人物の室生犀星が出会った詩人たちのエピソード集。ただの伝記集ではないのは、詩作のこぼれ話も含んでいるので、当時の詩人たちの詩に対する熱意や関係性も伺えて面白い。室生犀星は何よりも日本の近代詩の頂点という朔太郎との義兄弟的雰囲気があったようで、あの時代の『仁義なき闘い』で言えば、菅原文太の一匹狼に対する梅宮辰夫のポジションかな。

詩人の想い出と共に詩が掲載されている。それも室生犀星好みの詩なのだろうか?他人の伝記を書きながら自分のことを書いていたという。早すぎる夭折の詩人たちより長生きをした犀星の心の内側を描いた詩伝。

北原白秋

その室生犀星の師匠に当たるのが日本の近代詩を切り開いた北原白秋。犀星は北原白秋『邪宗門』を書店で見た時、意味はよくわからないが活字の組み方や文字の置き方にある種の麻薬のような陶酔する感覚を覚えたという。当時は書籍も高価で立派なもので、それを村の本屋で手に入れた優越感、誰にも知られていない魔法の書のように思えたようだ。「邪宗門」という異教の日本では弾圧対象となった宗教の秘教めいたものを感じたようだ。

それも白秋は恋愛詩も書いていて、当時は不倫は刑罰に処せられ「姦通罪」で逮捕されたり、『屋上庭園』が風俗紊乱にあたるとされ発禁処分を受けたり、若者に人気の前衛的な詩人だった。今では童謡詩ばかりで有名になったがそんな一面もあったのである。白秋が日本の恋愛詩の基礎を築いたと言ってもいいのかもしれない。それは「邪宗門」への道だったのだ。

編笠をすこしかたむけよき君は
なほ紅あかき花に見入るなりけり

編笠というのは囚人が被らされ連行される姿で、その途中に恋する君を見たという歌。こんな過激な歌を作っていたのだ。それもリアルに。反体制の詩の後に短歌へ、そして童謡詩と変遷していくのだ。

高村光太郎

高村光太郎は、永遠のライバルという位置づけで、室生犀星よりも年下のくせに『すばる』で詩を掲載されるほどの才人だったので、やっかみがあったと犀星はいう。それは犀星が『中央公論』から依頼を受けて高村光太郎に詩を書いてくれるように頼んだが拒否されたことや、賞を受け取らないで偉ぶっていると思ったという。極端な純粋主義者で犀星のちゃらんぽらんさとは対極にあったという。

しかしそんな高村光太郎も敗戦時には、それまで純粋に戦意高揚詩などを書いていた為に懺悔したという。そういう懺悔する詩人が少なかったそうだ。それが高村光太郎の「生涯のツマズキ」とされる。

室生犀星がそんな高村光太郎に惹かれるのは、『智恵子抄』の智恵子との出会いであったようだ。その氷のような冷たい目に下げ荒まれて、それでいて高村光太郎との間にセックスを連想してしまう。室生犀星は助平な詩人だとよくわかる。

をんなが附属品をだんだん棄てると、どうしてこんなにきれいになるのか。年であらはれたあなたのからだは、無辺際を飛ぶ天の金属。見えも外聞もてんで歯のたたない、中身ばかりの清洌な生きものが、生きて動いてさつさつと意慾する。をんながをんなを取りもどすのは、かうした世紀の修業によるのか。あなたが黙つて立つてゐると、まことに神の造りしものだ。時々内心おどろくほど、あなたはだんだんきれいになる。

この詩には光太郎が自分の性をとおして見た智恵子の裸体のうつくしさを、世間の人が決して喋れないヒミツであるものを、かれは彫刻にはゆかずに詩というもの、詩で現わせるために恥かしさを知らない世界で、安んじてこのように物語っていた。あなたがだんだんきれいになるという言葉は、よく解りうなずかれる言葉ではないか。

萩原朔太郎

家庭

古き家の中に坐りて
互に黙もだしつつ語り合へり。
仇敵に非ず
債鬼に非ず
「見よ! われは汝の妻
死ぬるとも尚離れざるべし。」
眼めは意地悪あしく 復讐に燃え 憎々しげに刺し貫ぬく。
古き家の中に坐りて
脱のがるべき術すべもあらじかし。

萩原朔太郎とは詩では義兄弟的な関係だったが、家庭を顧みずデカダンのように飲み歩いていた酒飲み友達としては、年上女房的な朔太郎の乱れた生活を危惧するような関係だったようである。

朔太郎は、批評文もずいぶん書いていたようで、虚無からの詩を組み立てる詩論というものがあったようだが、それは表にはなかなか出なかったようである。室生犀星は評論のような文章よりは小説の方が得意で、朔太郎の評論がよくわからないので、何度か議論になったそうである。資質の違いが、それでもお互いに欠るところを求めていたのかもとも思う。

萩原朔太郎の最後の愛人として、ただ朔太郎を愛するだけで生涯を終えた女を室生犀星は褒め称えている。それは朔太郎や自分にはなかったただ人を愛する行為というものが出来なかったと告白する。室生犀星が朔太郎の詩を上げるのは人恋しい詩が多いのも、そんな朔太郎の寂しさを感じていたのかもしれない。

艶めかしい墓場

風は柳を吹いてゐます
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
(中略)
どうして貴女あなたはここに来たの
やさしい 青ざめた 草のやうにふしぎな影よ
貴女は貝でもない 雉きじでもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡霊よ

釈迢空

折口信夫の歌人や詩人としての一面は、顔の痣にあったと。それを若いときにインキとからかわれ、自ら「靄遠溪(アイエンケイ)」と名乗ったという。釈迢空が偉くなるほどその痣に触れる人はいなくなり、それでも彼の中に痕跡として残っていた。

痣のうへに日は落ち
痣のうへに夜が明ける、有難や。

釋迢空の同性愛的な関係は、自身の痣を埋めていくような端麗美男子を求めて、歌や詩にもそうしたものを求めていたいう。犀星とはそこが違うのだ。

釋迢空の愛弟子、藤井春洋出兵する日に少尉の制服姿に着替えさせて裸の藤井春洋に軍服を着せたという。釋迢空の目には映画の将校のスターのように写ったが、藤井春洋はその制服姿を嫌った。硫黄島で亡くなった後に養子にした。

きずつけずあれ

わが為は 墓もつくらじ―。
然れども 亡き後アトなれば、
 すべもなし。ひとのまに/\―

かそかに たゞ ひそかにあれ

 生ける時さびしかりければ、
 若し 然シカあらば、
 よき一族ヒトゾウの 遠びとの葬ハフり処ド近く―。

 そのほどの暫しは、
  村びとも知りて 見過し、
やがて其ソも 風吹く日々ヒヾに
沙山の沙もてかくし
あともなく なりなむさまに―。

かくしこそ―
 わが心 しづかにあらむ―。

わが心 きずつけずあれ

堀辰雄

折口信夫が大学の講義で『源氏物語』をやっている時に堀辰雄が聴講に来ていて折口信夫がときめいて講義をしたとか。藤井春洋ときと違うエピソードがいい。

堀辰雄は幼少の頃か大切に母君に育たあげられたという。幼い時はどこかの俳優の子供だと思われたという。母に付き添われて室生犀星の元にやってきた紅顔の美少年。まだ詩集を出す前に、出版社にお願いに回る母の姿。そのときの着物まで揃えたという。過保護もここまでくると異常愛の世界。

そんな母君に育てられたから浪漫溢れる詩を天然のように書けたのかも。

天使達が
僕の朝飯のために
自転車で運んで来る
パンとスウプと
花を

すると僕は
その花をむしつて
スウプにふりかけ
パンに付け
さうしてささやかな食事をする

かと思うとリルケに影響されたこんな詩も書いていた。

僕の骨にとまつてゐる
小鳥よ 肺結核よ

おまへが嘴で突つくから
僕の痰には血がまじる

おまへが羽ばたくと
僕は咳をする

立原道造

軽井沢の追分に室生犀星の別荘が詩人たちの集う場所だったようだ。そこでいつも椅子に座り込み寝ていたという立原道造。まだ彼の詩は世に出ないで気をもんでいたとか。亡くなってから立原道造は人気が出てという。

   さびしき野辺

いま だれかが 私に
花の名を ささやいて行つた
私の耳に 風が それを告げた
追憶の日のやうに

いま だれかが しづかに
身をおこす 私のそばに
もつれ飛ぶ ちひさい蝶らに
手をさしのべるやうに

津村信夫

軽井沢時代の詩の若人。津村家とは父親からの付き合いだという。室生犀星の周りにはそうした若い詩人が多く集ってきた。

愛する神の歌

父が洋杖をついて、私はその側に立ち、新らしく出来上つた姉の墓を眺めてゐた、

噴水塔の裏の木梢で、春蝉が鳴いてゐる。
若くして身歿みまかつた人の墓石は美しく磨かれてゐる。

山村暮鳥

室生犀星が詩を雑誌に載せようとすると彼の詩が載っており、通せんぼしているように感じたという先輩詩人。そうした切磋琢磨があったと思われる。

風景
純銀もざいく

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな   (後略)

一行だけ違う言葉は、菜の花畑を歩いている牧師だった山村暮鳥の姿だという。

百田宗治

同年代のライバル詩人か。女にもてたが小心だったと。女の話が好きな室生犀星だった。

彼女の甦り

ある夕、私は思つた、
地球上に生存するあらゆる動物、植物、人類、その外のあらゆる無機物に至るまですべてのものを私と共に包含したいと、
私の知らぬ、しかしながら私自身よりもよく知られてゐる何億万人かの人々、
(中略)
私はひとしくそれらのものゝなかに私の生命をひたしたいと思つた、
それらのものとゝもに直接に生きたいと思つた、

千家元麿

白樺派の詩人。



蛇が死んでゐる
むごたらしく殺されて
道端に捨てられてゐる
死体の傍には
石ころや棒切れなぞの兇器がちらかつてゐる
王冠を戴いた神秘的な頭は砕かれ
華奢で高貴な青白い首には繩が結へてある
美しく生々した蛇は今はもう灰色に変つてゐる
さながら呪はれた悲劇の人物のやうに
地上に葬られもしないで棄てられてゐる
哀れないたづらだ

島崎藤村

先輩詩人というよりも小説に嫉妬していたようだ。芥川龍之介を貶めたことも。それでも室生犀星は彼の詩が好きで、影響を受けた。藤村は自分の書きたいことだけを書いたと作家としての藤村への尊敬を感じさせる。

椰子の実

名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ

故郷ふるさとの岸を離れて
汝なれはそも波に幾月いくつき

旧もとの樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる

青空文庫で。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?