シン・短歌レッス117
王朝百首
塚本邦雄『王朝百首』から。良暹法師。
「えこそ契らね」は女との交わりを想像したが、桜に対して擬人的に言っているのだった。詞書に「雲林院(桜の名所)に行ったがあらかた桜が散っていて詠んだとある」。塚本はこれも恋歌であり老境な艶なる歌とする。西行でやったがこの頃の歌人坊主はモテたようだ。
西行
目崎徳衛『西行』から「数奇の種々相」。西行が出家に憧れたのは数奇者の僧侶の歌会が開かれるのがそれらの歌名所であったのでたびたび訪れては歌会に参加するうちに京を離れての自然との一体感に感動したのだという。先に上げた良暹法師の庵も訪ねて歌を残していた。
この歌は良暹法師がさる人に贈った歌を想起しているという。
西行は数奇者の法師の跡を辿っていったのが自然と自身も数奇人と成っていったのであった。当時の寺は観光風靡なそれこそ『源氏物語』などで都とは別の隠れ家として数奇の人を楽しませる場所であったのだろう。
西行が出家後に嵯峨とも東山の草案にいたというのもそのような場所を転々と漂泊して行ったのだろうと想像する。そうした場所で歌会が開かれ数奇者同士の交遊の場でもあったという。山頭火や芭蕉が西行に憧れたのもそういうことかもしれない。その交遊禄として西住上人との贈答歌が残されている。
西行の出家の原因はいろいろ言われているのだが、まず鳥羽院の北面の武士時代に突然人が死ぬので世が嫌になった説。
詠み人知らずにされているが、西行が若い時期の記念すべき作品であり、遁世する事実は含まれるが理由がないという。それは遁世した直後の歌では不安を述べているからだ。
そして恋の痛手説。
西行の月の歌は手の届かない恋の相手だったようだ。それで月の歌をづらづら詠んでいるわけだった。藤原定家が『百人一首』に入れたのも恋の歌としてであったという。西行の恋歌は圧倒的に当時の歌壇では人気だったのだ。それを考えると恋の痛手説よりもむしろ恋歌歌人として一芸にすぐれていたのではないか?そしてここでは、芸術至上主義説を取っている。
数奇者という『百人一首』なら坊主めくりのような系統があり、そこの一群に西行も含まれて歌という道が何よりも勤めよりも家庭より重要であったとする。その過程で色恋はそこに含まれるということで、仏教を極めたいというのではなく芸術家として数奇者でありたいというのが真意のようだ。
それでも仏門に入るわけだから真似事ぐらいはしなくてはいけない。そこで元々頭のいい人だからけっこうな坊さんにもなって、あっちこっちからもお呼びがかかったということらしい。西行が憧れたのが能因法師で、当時は歌人坊主がトレンドだった時代のようである。
『詩歌と芸能の身体感覚』「短歌と近代」。
前述の「短歌と浪花節」の続編のような内容なのだが、高尚になった分危うさがあるような。
近代短歌が口承性を失って書き言葉になった(和歌から短歌運動へ、近代文学の原文一致運動など)、そこに正岡子規の『古今集」から『万葉集』讃歌があるとされるのだが、『古今集』にあった遊びの精神が「万葉調」という自意識になっていくのだが、その過程で柳田國男の文芸(短歌)離れがある。
もともと柳田國男は歌人(詩人)として、短歌や詩を作っていたのだが限界が来て民俗学方面に移ったという。
例えば柳田國男がことわざについて、ただ繰り返すことで刻まれる言葉について、それが昔話の手法だったと歓迎していくのだ。そこに例えば童謡の歌としてのおぼえやすがある。ただそっちの方に向かっていくと詩歌が戦争協力の道具として使われた歴史もあるのだということを意識しておかねばなるまい。そこから桑原武夫「俳句第二芸術論」が出てきたのだから、たんに口語から文語(言文一致)だから悪いというのでもなく、よく見極めていく必要があるだろう。
柳田國男がそもそも役人(貴族院の議員で管轄する方だった)だったのではないか?まあ、柳田國男と折口信夫の分岐点はこのへんにあるのかもしれない。音韻論については折口信夫の方が的を得ている感じがする(それほど読んだわけではないが)。
現代短歌史
篠弘『現代短歌史Ⅱ前衛短歌の時代』から「「中条ふみ子の衝撃」。
中条ふみ子は結社ではなくジャーナリズム歌壇から出てきた新人で、『短歌研究』の編集者である中井英夫が歌壇に一石を投じた。戦後の短歌熱は桑原武夫の「俳句第二芸術論」で日本の定形短詩が問題化されたにも関わらず支持されたのだと思う。そこには短歌界にも新しい波が生じてきたからだろうか。
その一つの事件が中条ふみ子の登場と『乳房喪失』の評価についての議論だった。同じ新人賞から推薦作品として、まったく対象的な石川不二子『農場実習』も出版される。
面白いのは歌壇の中心であった男性歌人たちのヒステリーとも言える中条ふみ子拒絶状態だった。大方は石川不二子の歌を褒めて、中条ふみ子は否定するか無視された。それが一変するのが、川端康成が後書の『花の原型』の序文を書いたからだった。権威に弱い歌壇の内幕が見えるようで面白い。
それでも重鎮である男性歌人から批判は続くのであった。それにしても凄い批評というか。
わざわざ作品を添削してまで人格否定しているのだから、この人物の野卑さは自身に返ってくるだろう。
確かにジャーナリズムの仕掛けはやりすぎなところがあったのかもしれない。映画が作られるとか。ただ作品を見ればその特異さと求心力はそれまでの歌壇の短歌にはないものだった。
最初の頃に寺山修司と共に圧倒的共感したのは中条ふみ子だった。連載小説を書くぐらいに。
中条ふみ子の短歌が一つの狼煙となって女歌が活発していくのだ。今の時代の女性歌人の台頭は、中条ふみ子がトリガーとなったことを忘れたくない。短歌としていろいろ問題点もあるが、それ以上にインパクトがあったのだ。歌壇をかき回し活性化させた短歌史の中で何より戦後短歌に最初に刻む名前だろうと思う。それ以後女歌というものが台頭していくのだが、その予言となっていたかもしれない折口信夫『女流の歌を閉塞したもの』は読むべき批評なのかもしれない。。
『短歌研究 2024年2月号』作品観賞
横山未来子「冬の香」
伝統短歌系の人かな?
冬の鳥は具体的描かれていないがヒヨドリかな。柚子の種がモチーフなのか?「こぼれしととく」の表記がわからん。「しととく」「こぼれし」「と解く」ということなのか?また柚子の芽が出てくるというイメージだろうか?自然詠。
柚子の実が点灯しているように残っているという歌だろうか?この時期にオレンジ系は目立つ。
対照的に聖寿は人工灯に照らされる。キリスト教徒なのか?祈ることなんてあるのか?あれはSMチックにボンデージかと。
「沈丁花の香」幻想なのかな。言霊が香りを呼び寄せる?
沖ななも「未使用の時間」。
名前だけで判断できないよな。ただこのぐらいの年齢の人が一番実験的かもしれない。
止めようもない欲望だろうか?だんだんリュックが大きく重くなっていくんでガラガラ引きずる奴の方がいいのかなと思ってみたりする。最近多いよね。キャリーケースというのか。
やっぱ68年世代みたいな。
若者に負けないという気概がある人だな。
これがタイトル。平和の歌なのか?
太陽の滅びよりも己の滅びの方が先だと思うが。
鵜飼康東「旋律五十年」。
この人も1940年代だった。このぐらいの人が中堅なのか?
エピグラフ的な短歌。作者のものだろうか?「テクオクラット」が最近観たデヴィッド・バーンのクラっとするダンスを連想してしまう。
『断片』の頃からこの変わり様。五十年の年月を感じてしまう。
英語が突然出てくる方が謎だよ。世界は謎に満ちている。
英語は否定的に使っているのだと思うけど、使っているのだから肯定しているのか、そういう判断はないということなのかもしれない。「PythonのSource Code」これがなんのことか全然わからない。プロムグラム言語のことみたいだ。
英語短歌なのか、ただの英語短詩なのか?よくわからん。わからんものは好かん。
染谷太朗「窓とオーボエ」。
ウィキペディアの出てなかった。
同世代ぐらいか。音楽家の人みたいだ。
「十三」はなんだろう?時間かな?デパートとか、このへんがよくわからんのだよな。地名みたいだ。
この甘ったる言い方が嫌い。
意味はよくわからないが書き言葉で声と共に身体も失っているということかな。それが誤解を与えるということ?
ネット社会のことなのかな。でもそこはちょっと違うと思うな。現にことばを発しているのだから。それが漂っているということもあるかもな。それだと永遠に終わらない。私はこっちの方に恐怖を感じる。
ネット動画ならよくて言葉ならだめなのか?
液晶の金魚でいいと思ってしまう。動画とか。やっぱ自分はことばが好きな人なんだろうな。ヴァーチャルでも。
5千字超えたので、今日はここまで。ほとんど自分のためにやっている。
映画短歌
映画短歌付け足し。今日はカール・ドライヤー『吸血鬼』。
本歌。
西住になったつもりで、「月の影のみ」だな。
闇と光の争い。勝ったのは闇。月影に照らされる君。