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死を演じる歌詠みとしての業

『中城ふみ子歌集』 (現代歌人文庫 4)

川端康成の序文は、中条ふみ子を売り出すためのマネージメントの一つだと思う。ただこの時代は短歌にもこのようなビッグネーム(ノーベル賞作家)が序文を書くこともあったのだということである(それは中城ふみ子の特殊性だろうが)。

今だったら大江健三郎に序文を頼むようなものである。まあ、大江健三郎は俵万智を評価していたので、もしかしたら頼まれれば書いていたかもしれない。あと穂村弘の歌集に高橋源一郎の例があったが、あれは再発ですでに穂村弘も名が知れていたからか?
 川端康成の序文と言っても、内容は中城ふみ子の手紙の紹介による人物紹介であるのだ。整理されすぎている中条ふみ子の手紙は最初から人物紹介をしているような内容だ。ほとんど手紙で歌集の内容紹介出来てしまうのだ。

そういう過程があったとしてもやはり「乳房喪失」後の彼女の短歌は凄いと言わざる得ない。それまではどこかしらナルシズムやセンチメンタルな歌の内容が多かったのだが死に向き合う者の声は壮絶と言わざる得ないだろう。

凍廊をおぶはれゆきつつ鼻癌患者が鼻より抜けてものをいふこゑ  『ひたひ髪』

『中城ふみ子歌集』

鼻癌患者の声が彼女の歌と重なる。それは、それまで不倫相手の相聞歌や挽歌といったものを超える彼女の声そのものように思える。そこに幼き者が求める母の愛情があるのだ。

額髪を撫でつつ童形探しゐる母の手よわれはまどろむふりに  『ひたひ髪』

その反対に幼き息子の死に対しての無関心もある。

子が忘れゆきしピストル夜ふかきテーブルの上に母を狙えり   『銃口』

その生の瞬間を演じなければふみ子の歌詠みとしての業もある。

ゆっくりと膝を折りて倒れたる遊びの如き終末も見え  『銃口』


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