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三角関係の話だと思っていたら、三角関数になっていた

『岩波文庫的 月の満ち欠け 』佐藤 正午(文庫 – 2019)

あたしは、月のように死んで、生まれ変わる――この七歳の娘が、いまは亡き我が子? いまは亡き妻? いまは亡き恋人? そうでないなら、はたしてこの子は何者なのか? 三人の男と一人の女の、三十余年におよぶ人生、その過ぎし日々が交錯し、幾重にも織り込まれてゆく、この数奇なる愛の軌跡。プロフェッショナルの仕事であると選考委員たちを唸らせた第一五七回直木賞受賞作、待望の文庫化。

岩波文庫的と言われると、ちょっと違うような。岩波文庫だともう少し余白を残していると思うのだ。読者が考える余地というか、三角関係の話なら誰でもある程度はわかると思うのだが、三角関数の話はその手の人にしかわからない。良く言えばストーリー・テーラーなのだが出来すぎているのだ。オーダーメイド服ぴったしのように。悪く言うとこれも出来すぎているのだ。窮屈すぎて遊びでは着れない。

一応ミステリー小説なのかな。生まれ変わりの人物が三世代(みんな早死だから)、一時代(それが聞き役)を共にする物語。村上春樹だったら余白を残すよな。謎の部分というか、それをすべて語ってしまっているから、読者の想像を広げるところがない。推理小説としては完璧なんだけど、あとは信じるか、この場合信じるしかないのだが、最後まで読まされたのなら信じるしかないというか、こんな話あるわけないとも突っ張れない。

細かいことを言えば、生まれ変わりの喩えとして「月」はいいとして、黛ジュンの「夕月」かよ、と思う。「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」だったらもう少しオシャレな小説になっていただろう。ただ、あの年代で子供が歌えそうな歌と言ったら黛ジュンの「夕月」なのかもしれない。小学生が「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を歌っていたら宇多田かよ!とツッコミたくなってしまう。どっちにしろ、ツッコんでいるのだが。

そのへんが直木賞なのかな、とも思う。


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