見出し画像

天皇直属の「聖なるもの」から非人へ

『中世の非人と遊女 』網野善彦(講談社学術文庫)

非人や芸能民、商工民など多くの職能民が神人(じにん)、寄人(よりうど)等の称号を与えられ、天皇や神仏の直属民として特権を保証された中世。彼らの多くは関所料を免除されて遍歴し、生業を営んだ。各地を遊行し活動した遊女、白拍子の生命力あふれる実態も明らかにし、南北朝の動乱を境に非人や遊女がなぜ賤視されるに至ったかを解明する。網野史学「職人論」の代表作。

非人は清めを、遊女は「好色」を芸能に
網野史学が説く職能民の多様な姿と生命力

非人や芸能民、商工民など多くの職能民が神人(じにん)、寄人(よりうど)等の称号を与えられ、天皇や神仏の直属民として特権を保証された中世。彼らの多くは関所料を免除されて遍歴し、生業を営んだ。各地を遊行し活動した遊女、白拍子の生命力あふれる実態も明らかにし、南北朝の動乱を境に非人や遊女がなぜ賤視されるに至ったかを解明する。網野史学「職人論」の代表作。

現代のわれわれが、職人の見事な腕前に「神技」を感ずるのと同様、このころの人々はそれ以上に、職能民の駆使する技術、その演ずる芸能、さらには呪術に、人ならぬものの力を見出し、職能民自身、自らの「芸能」の背後に神仏の力を感じとっていたに相違ない。それはまさしく、「聖」と「俗」との境界に働く力であり、自然の底知れぬ力を人間の社会に導き入れる懸け橋であった。――<本書「序章」より>

この本を読む前に、赤松啓介『差別の民俗学』を読んでいて柳田国男の常民に対する非人の位置づけについて、網野善彦は元(中世頃)は、天皇の支配下にあって特権を保証された神人や検非違使として、穢よりも清(め)に従事する者だった。しかし武家社会の到来により、武士の統治の中で次第に役目が失われて穢の人になったという。それは、赤松啓介の「非常民論」と対立するものだが、もともと外部であったとする説を取り上げて批評するも、赤松啓介の名前はみられなかった。異論は取り上げられるのだが、赤松啓介は異端者なのか、「非常民論」は他の論者を仮想敵として論じている。これは無視しているのか?名前さえ出てこないのは恣意的感じがする。

網野善彦は柳田国男の後を継ぐ民俗学者で常民研究会なる組織を立ち上げている。だから、正統な民俗学の側面から非人を考察する。そこで出てきたのが非人も天皇制の中に組み込まれていたという主張なのである。ただそれはある部分ではそうだったかもしれないというのは、2012年NHK大河ドラマ『平清盛』を観ていたので、その印象が強く刻まれている。ドラマはその当時の歴史学を再現するものだと思うが、Wikipediaを見ると天皇を王家とした歴史観を批判されていた。それは黒田俊雄の歴史観なのだが、網野善彦はその黒田を批判していた。

武家勢力と天皇家の他に寺家勢力があり、一遍上人絵伝から非人を解読した章が面白かった。ただこれは本だと小さすぎてよくわからないので、ネットの国立国会図書館デジタルで見るとよくわかる。

一遍上人が時宗を広めていく背景には武家社会が形成されるなかでそれまで「聖なる者」とされてきた天皇の直属の者たちが穢として差別される中で彼を受け入れる。それは第三の勢力として台頭していく。この絵巻に描かれる非人たちは、まだ「聖なる者」としての存在感を示している。

第二部「中世の女性と遊女」

イエズス会宣教師ルイス・フロイス『日欧文化比較』で描かれる室町時代の女性たちは、自由に外出できて離婚率も高い。また性も縛られておらず、その結果堕胎や嬰児殺しが多かったとする。それらは、ほぼ事実だろうと。さらに上流階級の女性ほど識字率が高く、事実荘園などを経営する女性当主なども存在した。


また宮本常一『忘れられた日本人』で描かれいるように性も解放されていて、夜這いの風習などもあった(これは赤松啓介も論じていたが、ここでは宮本常一とセットで語られている)。

行商をする女性も元は天皇直属の許可を受けた者たちで、遊び女、傀儡、巫白拍子、巫女などは武家社会になると「聖なる者」から「穢れた者」として遊郭などに囲われるようになる。そうした者を受け入れる寺社勢力も天皇、武士から影響を受けない第三勢力として拡大していく(彼女らは尼僧となる)。

非人としてあぶれてしまう者を救済する役割が、戦国時代の混乱期の時宗の僧侶たちに求められた。親鸞や日蓮や一遍などの、新興宗教が末法思想と共に広まっていく。


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?