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今日まで眠る人も明日から「パサージュ」

『『パサージュ論』熟読玩味』鹿島茂

「集団の夢」 の偉大なる蒐集家ヴァルター・ベンヤミン。
その特異な大著 『パサージュ論』 のおびただしい思想断片から
稲妻のようにきらめく思考の核心を解き放つ十九世紀文化史家による画期的な読解。

1 集団の夢

ベンヤミン『パサージュ論』を読むために解説本を先に読む。なかなか手ごわい。どうも弁証法というのいは、哲学的思考が苦手だった。ベンヤミンはそうじゃないと思ったのだが、やっぱそうだと思った。そう世の中甘くない。夢から覚めた。まず最初の一歩はそんなところ。しかし、哲学は理解が遠くとも文学が切り開いてくれる。まずはプルーストだ。

プルーストがその生涯を物語の目覚めのシーンから始めたのと同様に、あらゆる歴史的記述は目覚めによって始められねばならない。歴史記述は本来、この目覚め以外のものを扱ってはならないのだ。こうしてパサージュ論は一九世紀からの目覚めを扱うのである。

プルースト『失われた時を求めて』の目覚めは、有名なマドレーヌを紅茶で浸して食べるシーン。ただプルーストは歴史的記述をしたのかどうかは、本人は気がついていたのか。この場合語り手だけど。プルーストは歴史的記述に目覚めていたのかもしれないが、それは目覚める以前からなのではないのか?語り手は不眠症で夢現の状態から、過去を回想するのだった。目覚めるとは違うような。

ただプルーストを離れて考えると歴史的な事件は突然目覚めさせられるということだ。ロシアのウクライナ侵攻によって、突然目覚めさせられるように。それまで「集団の夢」とかあったのかもしれない。消えていくもの。20世紀の夢の断片。

集団の夢というのは、サン・シモン主義の夢だった。マルクス主義の前の空想社会主義のユートピアだ。優秀なブルジョアが経済を支配して、巨大なパリの巨人(比喩)を支配する。現在なら横浜みなとみらいの開発計画。ベンヤミンはマルクス(科学社会主義)主義の覚醒を促す。

覚醒とは、夢の意識というテーゼと目覚めている意識というアンチテーゼの総合としてのジンテーゼなのではなかろうか。この認識可能性に満ちた今のおいて物事はその真の──そのシュルレアリスティックな──相貌を被るのである。

それを始めたのがプルーストだった。

『失われた時を求めて』は覚醒する語り手の空間の叙述から始めている。

2 コレクトする子供

子供のコレクション。そんなに裕福でもなかったからトミカのミニカーとかはなかった。せいぜいカード類。仮面ライダーカードは、不味いお菓子を我慢して食べた。それ以前は永谷園だった。でも一番集めたかったのは、エンジェルカードかもしれない。パチンコの景品の森永チョコ。だから、天使好きなのかも(無理やりベンヤミンに繋げた)。

蒐集家にとって一番の魅力は、個々の事物を支配圏内に封じ込めることで、封じ込められた蒐集品はそこで、(略)彼の個々の所有物の中でひとつに圧縮された魔法の百科全書となる。そしてこの百科全書の総和が彼の対象の運命なのであります。

蒐集家ベンヤミンの凄いところは、図書館に行って本を書き写す。それは定住できない(本を買えない)ベンヤミンが書籍を集めることが出来なかったからだ。そのパリの図書館で書き写したノートが元になって『パサージュ論』が出来ている。引用をシュルレアリスムの方法のようにモンタージュすることで蒐集し、その隙間に彼の思考を潜入させる。

ベンヤミンが古本の中から一部を引用するとき、引用句は、そのとたんに、ベンヤミンにとってしか意味をもたないもの、つまり彼と出会った点においてのみ価値を有するものとなる。

ベンヤミンの方法を理解するには、引用するベンヤミンを引用するだけでいいのかもしれない。あとは他者の解釈に任せる。シュルレアリスムだから解釈はしないのだ。子供っぽいやり方だろうか?


3 遊歩者の幻想時空間

ベンヤミンにとってのパリは、私にとっては横浜だ。新宿歌舞伎町とか渋谷センター街と言いたいのだが、もうあまり行ってない。今は伊勢佐木町からみなとみらいぐらいがテリトリー。たいていは映画館しか行かないのだが、先日驚いたことにみなとみらいにパサージュがあったと気がついた。普段は通り過ぎる道なのだけど。ベンヤミンが言うにはセザンヌの風景画が描かれたことによって、セザンヌの風景や人物が現れるということだ。セザンヌ風に変容する現実と幻想空間。

遊歩者は群衆の中に逃げ場を求める。群衆とはヴェールであって、これを通して見ると遊歩道には見慣れた都会が、魔術幻灯で動いているように思われるのである。都会が風景として現れたり、部屋として現れるこの魔術幻灯は、後に百貨店の装飾のもとになったようだ。
遊歩者と大衆。これについてはボードレールのパリの夢には極めて教えられることが多いと言ってよい。

ベンヤミンが見たパリはボードレール『パリの憂鬱』かな?

4 モード、再生の未来

モードは、ファッションとか建築物であまり興味なく通り過ぎてしまうのだが、それでも若い時はハマジャラなんて流行っていたなと後から気がつく(ネットで調べたらハマジャラが出てこない。マハジャラではない!ハマトラだった)。あの頃は女子はみんなそんな風に見えたものだが。ヤンキーからハマトラで二分していたイメージがある。

そういえば、その後のゴスロリは19世紀のリバイバルかもしれない。襞の入ったドレスはゴシック風だった。プルーストの世界?ベンヤミンのモード好みも繰り返しているのだった。そう言えば最初にベンヤミンが注目し始めたのもその頃だったかも。

「モードは常に階級のモードであり、上流階級のモードはそれより低い階層のそれとは区別され、中流以下の階層が取り入れ始める瞬間に、見捨てられる」ゲオルク・ジンメル『哲学的文化』1911年
モードにはどれにも性愛に対する辛辣な皮肉が含まれており、どれにも粗暴極まる性的倒錯の気味がある。モードはどれも有機的なものと相対立しながら、行きた肉体を無機質の世界と結び合わせる。生きているものにモードは死体の諸権利を感知する。無機質な存在にセックス・アピールを感じるフェティシズムこそがモードの生命の核である。

5 窓のない家

映画館の裏側は、窓がなくのっぺらぼうの姿だという。それで思い出したが横浜のミニシアターで閉鎖した映画館があったけど解体現場を見た時そんな感じだった。映画館で見る間の待ち時間。そういう時間が貴重なのだと。本ばかり読んでいるけど。あと軽い食事。昔は確かに映画館よりもロビーの雰囲気、ポスターだとか冷たい座椅子とか思い出す。

ベンヤミンが取り上げるのはディオラマ館で初期の覗き部屋。ただしエロい女性よりは風景画だった。風景=エロスはこの辺りに潜んでいる。

プルーストにおけるバルベックの──「決して同じものではない」──海(ラ・メール)と、プルーストの読者の前で通り過ぎ去るのと同じ速度で照明を変化させて一日を観客の前に過ぎ去らせて見せるディオラマ。ここで模倣(ミメーシス)のもっとも低俗な形式ともっとも高雅な形式が手を差し伸べ合う
「待つこと」は、皇帝パノラマの上映にはつきものであるらしい。それは倦怠につきものであると同様である。

6 無為の時間

大学に入って、授業にも出ずバイトしながら好きなことをしていた当時の無為の時間は、やはりいろいろ想い出すことが多いです。実際的に身を結んだことはないのですが、生き方として頑張らなくなった。その日暮らしが30歳まで続いた。貧乏生活だったけどいろいろなツテがあった。

30歳過ぎてから定職について、結婚して、離婚して、一応定年まで仕事して今も無為の時間を過ごしています。本当は65歳定年でしたけど、つまらないことばかりなので早期退職しました。それほど欲望もないので成るように成る生活が気が楽なのです。ただ、覚悟はしなくちゃならない。

大抵のことは自分一人でどうにでもなる。だから、といって人に進められる生活でもない。ひとつには家族がいないで孤独に耐えられるか?ということがあります。その辺りが根無し草の性分なのか、それは二十代で過ごした環境が大きかったのかも。

一つはジャズに接したこと。ジャズ・ミュージシャンも裕福な生活が出来る人なんて、ほんとに才能ある人ばかりで、例えば才能溢れるパーカーでもモンクでも晩年は裕福でもなかった。それでもやりたいことやって生きていた自由さに憧れる。

無為という条件の下では孤独は重要な意味をもつ。どんなに些細もしくは貧相な事件であっても、そこからは潜在的に体験を解き放ちうるのは、孤独だからである。孤独は、感情移入を通じて、どんな偶然の通行人をも、事件の背景に役立てる、感情移入は孤独な人間にのみ可能である、それゆえに孤独は真の無為の条件なのである。

音楽に映画に感情移入しやすいというのは孤独の為せる技かもしれない。それは無為な行為であると知っていること。

探求する者にとっては「決して探求の終わりはない」。賭博師にとっては「決してもう十分ということはない」。遊歩者にとっては「必ずまだまだ見るものがある」。無為は無限に続く欲求をもつべく定められている。その無限性は、どんなものでも単なる感覚的快楽には基本的にないものである。

7 売春とモデルネ(現代性)

パリのボードレーヌの現代性を言っている。

売春婦の愛は、商品への感情移入の神格化である。

よくわからない。ケチらないで金を出すということなのだろう。有り金すべてを捧げるというような。「売春婦」は「死を意味する生のアレゴリー」。生の寓話劇を演じている死者ということなのか。それがパリの憂鬱という意味。幽霊というのに近いのかもしれない。能で出てくる旅の僧が鬼としての幽霊に出会うアレゴリーということを想像する。

8 街路のシニフィアン

日本には作家の名前が付いた通りはあるんだろうか?残念ながら私は知らない。地名で目白通りとか白山通りとか記憶にあるが、通りよりも建物の方が印象に残っているのかもしれない。

フランスは作家の名前の通りがあるのだという。大通りでなく狭い何気ない生活道路にボードレール通りとか付いているという。そういので憧れるのは哲学の道とかかな。なんとなく浪漫がある。スペイン坂とか。横浜はあまりそういう思い出の通りはないような。橋とか。大桟橋。ぐらいか。馬車道があった。あまり行かないけど。明治時代の名残ぐらいか。街路にはあまり思い入れが少ないのは目的地までの経路でしかないからか。散歩コースでもないし。

街路名にひそむ感覚性。それは普通の市民にとってはどうにか感じ取れる唯一の感覚性である。というのも私達は、街路について、舗道の構造について何を知っているだろうか。石の熱さ、汚れ、へりの角を素足で感じたこともなければ、寝ころんで痛くないかどうか敷石の間のデコボコを調査したこともないのだ。

名前だけで感じる通りとは、プルースト的なテキストの通り。ゲルマントへの道とスワンへの道。そういえばサンジェルマン通りは、『失われた時を求めて』を読む以前にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのアルバム『サンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズ』で記憶していた。アルバムを聴いてた頃は、貴族的な感じがしないでスラム街のイメージだった。

9 眠る巨人

寒の戻りなのかまさに、雨が降ってどこにも出掛けたくない気分で、ハーピニストのアルバムを聴いて眠りに誘われた。ここでいう巨人はパリの擬人法なのですが、サン・シモン主義というマルクス主義以前に空想社会主義が蔓延して、その中にパリを「眠る巨人」と描写した一文があった。

サン=シモン主義者たちのパリ。『百と一の書』に入れてもらうために、シャルル。デュヴィエリエがラヴォカに送った原稿から。「われわれは自らの信仰の霊感にしたがって、最初の都市に人間の形を与えることを望んだ」

この後に手足が道路だったり、心臓部が大学や銀行だったり、する中で頭は眠っている宮殿とするのだった。つまりブルジョアジーが台頭して来る中で王侯貴族の支配体制は邪魔になり、これからはサン・シモン主義者たちの天下にしたいというような文章なのだ。

ベンヤミンはその文章の内容よりも表層に惹かれれてしまう。シュルレアリスムをそこに見出すのだ。ただベンヤミンはマルクス主義の洗礼を受けているので、それを弁証法的に解読するのだが。

そのアレゴリーを出したのはサン・シモン主義者だけではなく、ユゴーやバルザックのの小説の中にも見出す。

王冠を抱くこの都会は、豊穣な肉体をもち、心におさえきれない激しい欲望をいだいた女王だ。(バルザック『金色の眼の娘』)

ベンヤミンが「眠る巨人(女)」から抱いたものは、当時のゴスロリのような衣服(プルースト『失われた時を求めて』のゴシックなドレス)の襞(フリル)にしがみつく幼子としてのベンヤミンの姿だった。ゴシックなドレスを変えたのはシャネルなのである。動ける女性が働ける衣服。

「襞」「眠る人」から出発したわれわれは、よくやくここにおいて「ひだ」にたどりついた。「ひだ」こそは、「眠る巨人」が「夢」として「表現」することのパサージュやモードといった原現象のシンボルにほかならない。というのも、それは「見たところでどうでもいいような、今では失われたもろもろの形式」の典型だからである。

10 夢の中の木馬

夢の中の木馬は「トロイの木馬」なんだけど、ここは著者とは違い戦争による目覚めがあると思う。目覚めたときには遅かった。ウクライナの侵攻のように、我々が欲望の資本主義の中でまどろんでいる時にロシアは「トロイの木馬」を築いていた。ここで再びプルーストについての言葉を引用する。

プルーストがその生涯を物語の目覚めのシーンから始めたのと同様に、あらゆる歴史的記述は目覚めによって始められねばならない。歴史記述は本来、この目覚め以外のものを扱ってはならないのだ。こうしてパサージュ論は一九世紀からの目覚めを扱うのである。

歴史的事件は、例えば9.11でも3.11でも目覚めとして起きたときに初めて我々は眠り過ごしていた時代に気がつくのである。ベンヤミンは19世紀だったが、我々は20世紀の微睡み(集団の夢)に。

11 テクノロジーとアルカイックなもの

その代表的なものが置き去りにされたテクノロジーだ。例えば役に立たなくなった原発。以前働いて場所が、川崎の重工業地帯でそこで夜光という夜の眠る重工業地帯の観光写真が話題になった。それこそがアルカイックなものの姿だ。例えばチェルノブイリ観光ツアーとか、廃墟の姿を求めていく人間は何を求めているのだろう。そういうものの姿も破壊されていくのだった。

温室庭園の埃っぽい蜃気楼、線路の交わるところに幸福な小さな祭壇を備えた駅の陰鬱な光景。これらはすべては、あまりにも早く来すぎたガラス、あまりにもはやすぎた鉄という間違った構造のもとで腐り出している。

温室庭園は渋谷にあった古い温室庭園が解体されるというニュースがあった。曇ガラスを通しての微睡みの午後を想像してみる。

横浜関内駅の地下に閉じ込められた明治時代の鉄道の祭壇を想い出す。腐らないようには保存されているのだが。あと東京の地下鉄の塹壕跡とか。その典型的な例が渋谷の開発と消えていく駅舎なのだろう。柴崎友香『寝ても覚めても』もそうした小説の一例だ。彼女も廃墟マニアだった。


12 「ベンヤミン号」 出帆!

出来すぎめいているのだが、桜木町の動く歩道から見える風景だ。「帆船日本丸」が停泊したまま、今では新しくロープウェイ(ケーブルカー)まで出来ている(乗ったことはないが、歩く人だから)。まさに近未来風景の開発地のみなとみらいで埋もれてしまったものを感じずにはいられない。

私がパサージュ論で行おうとしているのも根源の探求である。つまり私は、パリのパサージュのさまざまな形成過程と変容の根源を、その始まりから終末に至るまで追って行き、その根源を経済的なさまざまな事実のなかで捉えるのだ。



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