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夢もブルーに染まって枯芒

すでに紅葉している木があった。種類は不明。トウカエデかな?と思ったら時期が違った。最近の街路樹はよくわからん。

昨日は結局引きこもってしまった。NHK俳句と短歌があってそれを見た。あと朝に『BLUE GIANT』を見たのも外に出るタイミングを失った。そのわりにはぐったり寝ていたのだが。

現代詩の本は、『討議 詩の現在』城戸 朱理/野村 喜和夫と『現代詩手帖 2023年9月号』

『討議 詩の現在』「起源・反起源―吉岡実、堀川正美(ゲスト・佐々木幹郎)」詩を意識した起源として、個人的なことと文学史的なこと。だいたい最初の詩は教科書で習うと思うのだが、自ら手に取って衝撃だったのは、萩原朔太郎だろうか?朔太郎は近代詩でも重要人物だった。韻文口語詩を確立した『月に吠える』あと散文で『青猫』。晩年の古典反りは最近知ったことで、イメージとしては第一詩集の鮮烈なイメージ。あれは象徴詩だったのかな?その一方で三木露風の詩をエセ象徴主義と糾弾していた。

日本の象徴主義もよくわからんな。朔太郎が抒情詩を擁護していたのもよくわからん。日本だと主義というより人に付くから、思想性より義理人情の世界になってしまうと思う。

近代詩について言えばモダンとポストモダンが同時に入ってきたのが大正モダニズムということだ。日本の近代化の予兆は江戸時代にすでに蕪村が出てきて、かれがモダニズムの詩人だということだ。芭蕉から蕪村へ。だから正岡子規が注目したのかも。

重要な詩人としては、西脇順三郎、「荒地」派の戦後詩、吉岡実と堀川正美はそれ以後ということだ。この辺は『現代詩手帖』からで難解詩になっていく。

その『現代詩手帖』は富岡多恵子の特集。亡くなったのが去年だったか、集中的読もうと思ったがいい本がなかった。この特集は伊藤比呂美の選詩でいいかもしれない。

詩を始める人が『現代詩手帖』を手に取り始めるのが日本の現代詩の難解さなのかなと思う。ネットの詩との乖離が言われているのはネットの詩とかは抒情詩でそれが日本の和歌的な韻律であるからなのだ。小野十三郎『奴隷の韻律』。その弟子が富岡多恵子だった。だから日本の情緒的な湿っぽさよりはドライな感じか?伊藤比呂美になるとまた湿っぽくなってくるのだが。この辺の系譜が好きなのかもしれない。

昨日はネットで短歌も作らなかった。

秋もブルーに染まって枯芒 宿仮

また季重なりだな。秋は替えたほうがいいな。

鳩もブルーに染まって枯芒 宿仮

象徴を使ってみた。あまりにもありきたりか?二文字のコトバ。

夢もブルーに染まって枯芒 宿仮

このぐらいで。今日の一首はなし。「シン・短歌レッスン」でやろう。



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