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限りなく不透明に近い碧

『富岡多恵子詩集』富岡多恵子 (現代詩文庫 第 1期15)

Netflix『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』で観ていたら、TVドラマで詩の朗読をしていた。日本のTVにはあまりないような(昔はあったと思うが)。まあ、短歌が話題になったというのはあったか?ドラマで詩を朗読するのに惹かれてしまった。

日本で富岡多恵子の詩が朗読されるドラマがあるだろうか?あって欲しいと思うのだがなんか無理そうな気がする。それはフェミニズムというレッテルを貼ってしまうからだろうか?だけど富岡多恵子が詩を書いていた時代はフェミニズムなんて言葉もなかっただろう。そして富岡多恵子が向き合うのは個人としてのコトバだった。

それは富岡多恵子が関西出身で、小野十三郎の影響を受けたからであろう。ちなみにこの初詩集『返禮』の序を書いているのが、小野十三郎だった。

最初全集を読んでいたのだが嵩張るので現代詩文庫を借り直した。詩の入門書としては、「現代詩文庫」は批評や解説が載っているので便利である。代表作も出ているし。

フェミニズム以前にフェミニズム的な詩を書いていた詩人。どうも詩人としてのイメージはなく、作家の怖いおばさん的イメージだったのですが、詩人としては本に掲載された写真とか池田満寿夫(『限りなく透明に近いブルー』の)妻だったとか驚くことばかり。

森茉莉の解説による富岡多恵子像が分かりやすかった。詩の特徴はアジテーションか?最近はこのタイプあまりないんじゃないのか?白石かずこの先輩格だとも。白石かずこは詩人としてよりもジャズのお姉さんという感じでエッセイは読んでいた。そんな白石かずこを電話口で鞭打つ女詩人。

「文章というのは活字になる前はうじ虫だよ。うじ虫が五十行出来た、百行出来たなんて言って、ひとによんできかせるなんて」と、やっつける。

コトバの興味と自己を照らし合わせてコトバの意味を問い直すというような詩の感じか。女性性というフェミニズム的な主題なのだが、ミーハーな女性の部分もあり、そこのアンバランスな感じが詩人としてはういういしい感じなのかもしれない。難しいコトバではなく、本人も「実存」というコトバを自分の中で問い直すというような。その時代の影響もあり、アジテーション的な詩のような気がする。

はじまり・はじまり

なんでもええから反対せなあかん
この旗もって
もう出掛けな遅すぎる
あんたには
えらい待たされた
あんたの雄弁はようわかった
ゆうべの雷で決心はついたやろ
(略)
あれもわからへん
これもわからへん
なんにもわかれへん
そやから私は出掛けてくる

はじまり はじまり

反意語

失語症にたどりつき
大きなあくびをひとつしてから
ミシンを踏んで晴着をこしらえた
ハイマイトとハイライト
(略)
交合は原点
われわれのあくびの会話を
あくことなく集大成し
ニュートンの限界から
大いに笑壺に入る

深沢七郎とのエッセイは面白い。自給自足をする深沢七郎とそれが出来ない都会の女。そんな二人を結びつけるのが春画だった。あと小説を日本語で書くのを他の作家は難しく書くが深沢七郎は簡単に深く書くというような。深沢七郎からの影響。



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