アメリカ文学(男尊女卑)から韓国文学(フェミニズム)へ
『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ,(翻訳) 斎藤 真理子
今週のラジオ「文学の世界」で紹介されたが、映画化もされた。映画の方で印象が残っていたが、原作はカウンセリングということで、今読んでいるフィッツジェラルド『夜はやさし』と比較して読むと面白いかもしれない。
儒教の影響だろうか日本以上に男尊女卑が酷いように思うがそれでも現在は戸主制廃止とかある面日本以上に男女平等化が進んでいるように思える。たぶんに#me too運動も韓国のほうが盛り上がっているのはこのような作品が韓国で出版されたからだろうか?男は出産のハンデとかよくわからないと思う。それまで当たり前のように母親たちがこなしてしまったからそれを自然なことだと思えてしまう。そうした一人背負う苦痛が言語化されるのはいいことだと思う。
男ばかりではなく世代間でもたぶんに母親世代は自分がやってきたことを娘に強制してしまう。「再生産」ということだよね。(2019.04.09)
以上はかつての感想。フィッツジェラルド『夜はやさし』は精神科医(ユング派だと思われる)のディックが臨床医としてニコルを診察するが彼女の肉体と財産目当てに結婚したと言われても仕方ないような結婚をする。そこで描かれているのは男尊女卑のアメリカ文学(フォークナーからヘミングウェイまで)の王道(英雄主義)の崩壊する姿であった。
そして、その問題は時と場所を超えて韓国文学のテーマにもなったのだ。
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