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顧客(商品)に手を出しては駄目な医者だよ

『夜はやさし(上)』 フィツジェラルド , (翻訳)谷口 陸男 (角川文庫)

若き優秀な精神科医ディックは、富豪の美しい娘ニコルと出会う。医師と患者という垣根を越えて、恋に落ち、結婚した二人。富も名声も持ち、人を惹きつけて止まないこの夫婦は、多くの友人から敬われ慕われていた。二人の子に恵まれ結婚生活も順調に思われたリヴィエラでの夏、若き女優ローズマリーが現れディックに激しい恋をしたことから、彼らの運命が大きく揺さぶられ始める――。自伝的色彩を強く放つ、著者最大の長篇傑作。

出版社情報

ザンブレノ・ケイト『ヒロインズ』を読んでいたので、精神科医のディックよりもゼルダのモデルであるニコルに肩入れしてしまう。

ディックが問題なのは、精神病患者と知りながら恋愛関係に陥り結婚してしまうこと(今ではそれは医学倫理に反することだ。患者=顧客に手を出すのだから)。ほとんどニコルを症例の実験台としか考えていない。絶えず上から目線だし(精神科医目線)、ニコルは近親相姦の過去があったのにも関わらず、そこをケアすることなく、自らの欲望のために近づいた。最初のニコルとの書簡編は、ゼルダとの書簡を引用したのだと思う。村上春樹の方ではゼルダの書簡も読めるのだという。

アメリカ(ハリウッド)の女優のローズマリーの不倫にしても、自分の娘ほどの年齢が離れているのに安易に近づき手を出す、相手が熱を上げると愚かな女扱いをするのだ。根本的にディックは家父長制的な前近代的な男であり、女性を支配するものと考えが透けて見える。ローズマリーの章から始まる社交界的な雰囲気もプルースト『失われた時を求めて』のように感じた。ただプルーストの語り手はそこに芸術という目的があったのだ。

ディックはブルジョア世界の人間で貴族の娘を土台にのし上がっていく成金男のパターン。そこに芸術性よりも自らの名誉という知性主義があるのだ。それが欲望によって崩壊していく。その贅沢さはニコルの遺産なのだ。遺産無き男が知識という権力で支配していくのだが、自らその贅沢三昧の生活に溺れていく崩壊ストーリーだと思った。


『夜はやさし(下)』 フィツジェラルド , (翻訳)谷口 陸男 (角川文庫)

下巻になるとディックのアメリカ人の傲慢さと英雄主義的な男尊女卑思想が全開で、様々なトラブルに巻き込まれる。女性の意見はほとんど聞き入れることがなく、自己中心的な性格が禍して、イタリアで逮捕されたり思うようにならなくなるとアルコール依存症になっていく。その下り坂の運命とは逆にニコルはディックから離れていくがそれが彼女の精神にはいい影響をあたえていく。フィッツジェラルドは、多少なりともゼルダに対して希望を示す道を示したかったのではないか?物語はディックの崩壊物語だが、『失われた時を求めて』の影響も感じた。


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