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パルチザンとしてのパレスチナ(文化帝国主義に反抗して)

『パレスチナとは何か』エドワード・W.サイード 著 , 島 弘之 訳 , ジャン・モア 写真 (岩波現代文庫)

サイード自らの政治的流氓体験を踏まえ,パレスチナ人の生活と労働,そのアイデンティティーを徹底的に凝視しつつパレスチナ問題の根源を問い直した衝撃の書.執筆後の情勢の変化を超えて,状況の基底へと読者を誘い,アラファト亡き後の現在も多くの示唆を与える.原著は86年刊行.精彩に富む写真も多数収録.
■内容紹介
 二年前に逝去したエドワード・W・サイードについては,『オリエンタリズム』を初めとして,日本でもあまりにも著名ですが,本書はサイード自身を理解する上でもきわめて重要な意味を持っています.なぜなら,パレスチナ人とは何であるかという主題について,自らのアメリカへの亡命にも言及しつつ,記憶と思索をたどりながら,徹底的に肉薄した数少ない著作であるからです.本書では,パレスチナ人の生活と労働,彼らのアイデンティティーとは何であるかを凝視し,パレスチナ問題の根源とは何かを写真とエッセーとの協奏を通じて読者に問い直しています.原著刊行から19年,単行本刊行から10年が経過した現在でも決して古びた印象はなく,問題の根源に迫る力が漲っています.
 10年前の訳者あとがきで,島弘之氏は「パレスチナ人すなわち「テロリスト」といった類いの「初歩的」な偏見を「外」に向けて是正しようとする一方で,サイードは,伝統的にパレスチナ人口の大半を占めてきた農業従事者たちの生活の実態やパレスチナ人女性の「地位」の低さといった「内」の問題については自省も迫られる.要するに「西洋人」によって恣意的に構築・捏造されてきた〈オリエンタリズム〉の弊害を告発するという安定した立場からサイード自身が脱皮を試みているわけであり,まさにそれこそが本書の白眉だと言えよう.」と指摘しています.このことも本書の魅力の一端を物語っていると思われます.
 原著刊行以来,パレスチナ情勢はあまりにも大きく変動しました.最近では昨年にはアラファトが逝去し,イスラエルが,西側の暫定自治区を「分離壁」で囲い込む作業を続けてきたことも記憶に新しいところです.しかし,日常的にパレスチナに存在しているむき出しの支配と暴力,変動する状況の根底に何が存在しているかについては,どれほど日本の広範な市民が意識しているでしょうか.
 本書は,ニュース解説的な叙述をしているわけではありません.サイードの肉声が語られつつ,パレスチナ問題の本質は何なのかという深い問いが発せられていますが,それだけに行間から発せられる問いが読者を揺さぶります.約三五年間撮り続けてきたジャン・モアの精彩に富んだ写真も多数収録しています.またこの二十年間の状況の変化を受けて訳注も大々的に補正していますので,いま本書をひもとく方にとって手応えのある一冊になっています.
 折しも,この八月からイスラエルのガザ撤退が開始される中で,パレスチナ情勢が世界の注目を集めることでしょう.その時にこそ,深部から問題を射抜いた本書の価値を受けとめていただけるのではないかと信じるものです.
目次
序 パレスチナの人々の生活
1 現状
2 内側の諸相
3 創発
4 過去と未来
後記 ベイルート陥落

エドワード・サイードのドキュメンタリー『エドワード・サイード OUT OF PLACE』を観たときある公演でサイードを紹介するのに、パレスチナの専門家ではなく「オリエンタリズム」の専門家と紹介していたのが引っかかった。

それは他者としての視線に、例えばここで取り扱う写真は、ジャン・モアというスイスの写真家がパレスチナと呼ばれる人々を撮った写真である。それは内側というよりも外側から、最初の結婚式の写真が好例だと思うのだが、被写体の視線はどこか不審げに気まずさの中にある写真なのだが、その気まずさをサイードは物語っていく。

例えば逆の写真を我々はよく見るのだが、結婚式の写真でもパーティ会場の部屋で親戚一同に紛れ込みながら、料理を振る舞われる親しげなルポルタージュ。先日紹介した古居みずえ『ガーダ 女たちのパレスチナ』は疑似家族的なルポルタージュであった(この本も映画を先に見て関連本として読んだのだが)。

そうした映画や本とは決定的な違いは、サイードが外部からの視線を意識させるからだった。それは『オリエンタリズム』が外部から曝された中心からの批評書だということである。そこにあるのは「文化帝国主義」という一つの中心を持った物語に他ならいのだ。

例えばパレスチナをアラブのユダヤ人と評する人もいるという話だが、サイードはユダヤ人のディアスポラとパレスチナのエグザイル(亡命者という意味は「ディスポラ」と似たようなものだが、明確に言葉を分けるために使用する)は違うと主張する。それは生まれ故郷に墓を建てられなかったサイードのことかもしれなかった。

『エドワード・サイード OUT OF PLACE』でサイードが住んでいたというパレスチナの住居はマルティン・ブーバーの住居になったという、その家庭(過程)はユダヤ人のシオニズムに追い出されたという形だったのだ。サイードがシオニズムを敵と見なすのはそんなところかもしれない。ちなみにサイードはユダヤ人を一つの中心(シオニズム)とは見ておらず、ユダヤ人の中にも様々な人がいて、それがイスラエルという国家に集められたときでも、彼らの出身地(出自)は多様性であり、そのことが国家としてまとまらないと主張するのだが。

サイードの対シオニストはイスラエルに向けられるよりも、アメリカというその文化帝国主義に向けられているのだ。それは画一化させる文化思想の中心から逃れるための「オリエンタリズム」からの反撃、大江健三郎の周縁性を結びつけたのも中央集権に対する周縁の物語としてであったのだ。

他者の視線に曝された写真からサイードがパレスチナを語ることは、まさにそのように周縁的に生きなければならない生業、それはノマドとしてのパレスチナのあり方なのかもしれない。彼らの抵抗運動は文化としてパルチザンの戦いであり、それは中心からのテロリズムという視線から別の物語があるのであり、その多様性の姿こそがパレスチナなのだ。

例えば同じ家族でも息子世代はアメリカ人としてパレスチナとは関係のない生活をしているという。それでもサイードの奥さん(彼女はパレスチナではなくヨルダン人)はパレスチナの食事を振る舞うそうなのだ。そうした文化を伝えていくことがパレスチナのあり方としてサイードが中心とは別の物語を語ろうとしていることではなかったのか?サイードの奥さんがヨルダン人というのもかなり重要なことになるのは、「後記 ベイルート陥落」で語られることになる。

例えばサイードがパレスチナのキリスト教徒であるというのもパレスチナのイスラムとは違い、むしろ亡命ユダヤ人との親交を重ねてもいるのだ。それはサイードの音楽的趣味でバレンボイムとの協力でユダヤ・パレスチナ隔たり無く(理念としてかもしれない)調和させていくことの音楽プロジェクトを立ち上げていたりしているのだった。


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