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ヒマワリ咲けばアザミなんてララバイ

まだ今年はアザミが咲かない。去年は咲いていた。アザミは枯れ姿のほうがいい。蕾も可愛いけど。

Kindleで兼好法師『徒然草』を読んでいるがものの美というのは盛の時期にあるのではなく、継続の中に美があるということだ。橋本治が吉田兼好は爺だから清少納言の欲望の方がいいというようなことを書いていたが、年老いて読んでみると兼好法師もいいもんである。吉田兼好というのは江戸時代に子孫が吉田家になってそう呼ばれたということで、卜部(うらべ)兼好(卜部説も異論があるようだ)ということだったが馴染みがないので、兼好法師にさせてもらった。法師だからその方が意味を汲み取りやすい気がする。折口信夫の女房文学のあとに坊主文学が来るというのにも一致する。坊主は隠者ということだが、兼好法師は隠者ではなかった。

兼好法師の美に対しての考え方は春の中に夏があり夏の中に秋があるということでそれぞれが区分けされるべきではないというのだった。最盛期の美は欲望にほかならないから、それだけに固辞して閉じ込める。若さ一辺倒だと老いの姿は見えない。それこそ死を礼賛するようになっていく。

そんなことを思ったのは『ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ~を見たからかもしれない。ゲバルトの恐ろしさは集団化によって思考放棄してしまうこと。それがシステム論上のマルクス主義の姿なのだと見る向きもあるのかと思う。それは暴力性の肯定という生存論だった。暴力性が生まれるのは集団化なのではないかと思うのだった。それが正しければ強者しか生存出来なくなる。

暴力が感覚を麻痺させるというのは、思考しなくなるからだ。それが集団という全体主義だった。そのことに気が付かないのが若さなのだろか?集団内で問題なのは保身ということかもしれない。結局彼らが恐れたのはスパイとしての存在によって自分の組織が潰されるかもと集団意識が働いたからだ。善悪二元論。それは学校を守る見回り教師にも言えることで、そこで行われていることを見ようとはしなかった。学校の問題は警察が解決してくれているのでまだ問題化されてないと思っていたのだ。それも保身であった。自らの命を危険にさらしたくない。それはあるのかもしれない。あの状況で学生と乱闘になったらと思うと彼らの行為は一概に非難できない。教師といえどもサラリーマンなのだ。組織の論理に従っていく。

そういうシステム論から考えてしまうと出口なしだよな。ほとんど人間は自然に対して悪の存在なのだから。弱さということを自覚してないのかもしれない。強さだけが生存だと思う驕りだろうか?そこに美の観念もあると思う。美の状態でノイズを排除していくのだ。そう言えば音楽は大友良英のノイズ系のジャズだったな。その緊張感だろうか?

ノイズというのは外部の声である。それを聞き入れることが出来なかった。集団化の恐ろしさ。集団に対して集団で戦うことの是非?ほとんど一方の集団を倒しても新たな権力になるだけで、そして保身に走るようになる。

芥川賞だった。今回はあまり読む気がしないのは、毎年のように追いかけるのも馬鹿らしく思えるからだ。それ以前の芥川賞は過去のものになり、誰も見向きもしなくなる。文学は新しさがすべてではない。今の芥川賞の状況は経済的なもので本をどれだけ売ろうとかそんな戦略が透けて見える。このnoteの話題にしても、だれが芥川賞取るのか予想するのも。読書メーターでそういうトピックがあって予想したが見事に外れた。まああまり興味も無かった。ただポイントが欲しかっただけだ。

世界がポイントで動いていると感じるのは、いいねとかも結局ポイントではないのかと感じてしまうからだ。芥川賞という話題に乗ることもポイントになるのだった。

そんなことより『黄色い家』を読まなくては。せっかく話題の本を借りれたのだ。もう話題じゃないって。文学はそんなものなのか?

今日の一句。

ヒマワリ咲けばアザミなんてララバイ 宿仮

「アザミ嬢のララバイ」という凡人句だった。

『黄色い家』は居場所を求める少女の話。家族というものから排除されて疑似家族を求める。そのなかで親が権力化していくのだろうか?親の意見が正しいと思わなければそこを出るしかない。しかし一人では耐えられない(未成年故に力もない)。その葛藤なのだろう。逃げ出せたことなのか?後から回想しているのだからそういうことになる。逃走=闘争だよな。生活という毎日の闘争から逃走すること。まだ100ページぐらいだった。面白くなりそうな予感はする。欲望という問題もそこに含まれるから。美に対しての欲望か。そう言えば若い時スナックを開店したからボトルを入れてくれと言われ一番安いのでも一万円だったのを思い出す。知り合いじゃなかったのか?そんな話。まあシャンパンとか入れるわけではないのでそのぐらいで勘弁されたのか?結局一回行っただけで以後は行かないのだが。昔、自分の店という居場所が欲しいということだった。

今日の一首。

棘あるアザミ嬢指名する
お一人様の
夜は明けない

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