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シン・短歌レッスン

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2023年12月の記事一覧

シン・短歌レッス107

シン・短歌レッス107

西行

「あはれあはれ」と嘆きのリフレインから始まり「この世」と「来(こ)む世」、現世と来世に対する嘆きなのだが、現世はあきらめるかのような「あ音」であり来世は「か音」が苦しみを予感させている。

西行は和泉式部の歌を特に好んだという。それは繰り返される音韻の業なのか?

地上の道は永劫回帰のごとく暗い道なのだが、天には月の世界が見えている。それはこの世ではない来世の願いなのだ。西行はその救済は仏

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シン・短歌レッス106

シン・短歌レッス106

西行

今回は西行の月の歌を中心に。

『新古今・釈教歌』。釈教歌は仏教に帰依した心境(良かったこと)を詠ったものだが、西行は出家したので当然多いのかと思う。

しかし、歌を捨てられなかった西行であり山籠りするよりは里との境界でスタイルとして草庵生活にあこがれていたということのようだ。それは山辺という寂寥感のなかで月を眺める心持ちだった。「空なる心」はそんな西行が出家したいと思うこの世の空虚感だっ

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シン・短歌レッス105

シン・短歌レッス105

西行

『山家集』『新古今・哀傷』。西行が初めて奥州に旅をした時の歌で、古塚は藤原実方の墓だったと知って読んだ歌。「枯野」や「薄(すすき)」は実方の歌にも歌われている。

西行の歌の「形見」とは『伊勢物語』で業平が小野小町の髑髏と対面する伝承になぞらえている。後に芭蕉がこの実方の墓を訪ねようとした。

「あはれ」は小野小町が広めた言葉だった。「宮城野の原」は陸奥の歌枕で露と萩の名所として歌に詠まれ

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シン・短歌レッス104

シン・短歌レッス104

西行

「津の国の難波の春は夢なれや」は古今集に出てくる仁徳天皇の和歌ということで春の情景を詠んだものの本歌取りとなっている。

西行は「幽玄の体」と言われている。幻視体ということか。?西行の歌は能因法師の本歌取りで春を冬景色に変えてる。

「心あらん人」は心ない人ではなくある人で、「歌心ある人」の意味なのだそうだ。能因法師が連れに問いかけている歌でよほど素晴らしい景色なのだろうか?能因法師の数奇

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シン・短歌レッス103

シン・短歌レッス103

『古今集』の和歌

『古今和歌集 物名』。言葉遊びの類で「さうび(薔薇)」が隠されている。「今朝(けさ)うひにぞ見つる」。「さうび」は中国の薔薇の呼び名で菅原道真の詩(漢詩か?)には読まれていたという。ただ和歌の素材としては珍しく、この歌は白楽天の「薔薇正(しょうびまさ)に開き、春酒初めて熱す。因って劉十九・張大夫・崔二十四を招きて同(とも)に飲む   白居易」が元になっている。朝から酒を飲んでい

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