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どうして小説を書くのか。

最初は、小説でなくてもよかった。
しかし、家庭環境を鑑みて、小説を書くという選択肢を選んだ。と、トークイベントでお話したのだが、そもそも、何故創作活動を始めたのかをこの記事で書きたい。

私はとにかく、クリエイティブなことをしないと死ぬ人間なのだ。
世の中には、恋をしていないといけない人間、身体を動かしていないといけない人間、お喋りをしていないといけない人間など、様々な人間がいる。
私はその中でも、何かを作っていないといけない人間だ。
何か刺激を受ければ、頭の中がインスピレーションでいっぱいになり、吐き出さないと苦しくなる。たまに、noteに掌編や短編を掲載するが、それは、うっかりインスピレーションを受けて形作られたものを吐き出した結果だったりする。
もし、執筆のお仕事を頂けなくなっても、私は黙々と書き続けるだろう。ただし、公開するひと手間を惜しむかもしれない。実際、現時点でも、公開されないままの小説は幾つかある。

親からは、「クリエイターで食べて行くのは無理。安定した職業で安定した収入を得ろ(意訳:どこかの企業の正社員になれ)」と教育されていたので、大学を卒業して就職をする際は、趣味であった執筆を封印して、親が言う「真っ当な大人」(とは???)になろうとしていた。
しかし、気付いた時には筆を執り、いつの間にか物語を紡いでいた。
私は、息をするように物語を作る人間なんだなと自覚した。

それから紆余曲折あり(ブラック企業を渡り歩いたりとかリーマンショックの打撃を受けたり、路頭に迷いかけたりとか、とにかく長い物語がある)、また、親元から長く離れることで己を見つめ直す時間が出来て、「呼吸と同じように小説を書くのなら、小説家として仕事を出来るように頑張ろう。その方が、無理がないし」と思うようになった。

「上手く呼吸が出来たらお金をあげる」と言われたら、あなたは上手に呼吸をする方法を探すのではないだろうか。それで、満員電車に乗る必要も、集団生活に煩わされる必要もなくなるというのならば、上手い呼吸の必死で練習をすることだろう(たぶん)。
上手な呼吸で生活費を稼げて、雨風が凌げる家と温かいご飯が食べられるなら、これほど有り難いことはない。上手な呼吸とやらをするのに惜しみない努力が必要でも、どうせ生きるためにやることなのだ。
生きるために必要のないことを無理にやるより、ずっといい。
それを人に話すと、「それがあなたの天職なんだね」と言われる。
天職とは、自分の性質に合った仕事を指すので、その通りなのかもしれない。
ここまで来るのに色々あったし(本当に七転八倒だった)、天職ですら一回躓いたのだが(過去に別名義が……)、泥臭く努力を積み重ねながら、一歩一歩前に進めるよう頑張ろうと思う。
(呼吸もし過ぎると過呼吸になるので、ほどほどにしながら)

それにしても、家庭環境を理由に小説という手段を選んだが、今ではすっかり、小説ならではの表現を追求し、小説ならではの楽しさを見出そうとしている。

9/15には、50冊目の著作『稲荷書店きつね堂 神田の面影巡り』が発売する。6年強で50冊の小説を刊行したので、大したものだと自分を褒めてやりたい(アンソロジーや漫画原作を含めるとそれ以上になる)。

厳しい世の中ではあるが、挑戦したいことが尽きる様子はないので、皆さまの応援を励みに、より一層の精進を重ねたい次第である。

よろしければご支援頂けますと幸いです! 資料代などの活動費用とさせて頂きます!