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【東京地下迷宮街】地下のおばけさん【短編小説】

 ツグミという少女の友人の知り合いが、行方不明になったらしい。

 ネット上でも、同僚の知り合いや、兄弟の友人の知人が行方不明になったという話が散見された。共通するのは、彼らは地下鉄に乗って何処かに行こうとしていたことだった。

 ツグミの秘密基地は、迷宮のような地下世界に繋がっていた。それは何処までも続いていて、人ならざるものが蠢いているということをツグミは知っていた。
「みんな、何処に行ったんだろうね」
 なんとなしに呟きながら、ツグミは今日も錆びついた梯子を下り、延々と続く廊下の奥へと消えて行った。

 頼りない非常灯がぽつぽつと廊下を照らす中、ツグミは、壁に溶け込むような朽ちかけた木の扉があるのに気づいた。
 誰かが居住している証の提灯がぶら下がっているものの、光はとても希薄で、今にも消えそうだった。
 ツグミがそっと扉を押すと、ギィと軋むような音を立てて開く。

「お邪魔します……」
 ツグミはそう断ると、小さな身体を扉の向こうへと滑り込ませた。中は部屋が一つだけあって、しんと静まり返っていた。
「あれ?」
 ツグミの足元には、靴やバッグなどが無造作に落ちていた。まるで、誰かが大慌てで逃げようとしたかのようだ。
 ツグミが首を傾げていると、背後で扉が勢いよく閉まった。
「びっくりした……」
 閉まった扉に気を取られているうちに、部屋の明かりがポッとついた。天井から垂れ下がった裸電球が、室内をぼんやりと照らす。
 土壁に囲まれた六畳ほどの部屋には、テーブルとイスがあった。
 ただしそれは、とても不器用な代物で、不揃いな廃材を必死に組み合わせて取り繕ったかのように歪んでいた。
 しかも異様なのが、テーブルにかけられたクロスだ。綺麗なビンガム模様だったが、誰かのシャツをそのまま敷いたようにしか見えなかった。

 ツグミは、思わずたじろぐ。
 そんな彼女の前に、ふわりと白い何かが現れた。さっきまでいなかったのに、虚空から浮かび上がったのだ。
 驚いたツグミは辛うじて、「……おばけ?」と尋ねた。
 その問いかけに、おばけと称された存在はややあってから頷いた。
 白い体は、シーツを被っているように見えた。困ったような笑顔が張り付いているものの、よく見ればそれは、描いただけのものだった。
「ここは、あなたの家?」
 おばけはツグミの問いに頷きながら、部屋の奥にあるポットを手に取り、飲み物を淹れてくれた。
 妙に細長い真っ黒な腕が見えた気がしたが、ツグミは何も見なかったふりをして、差し出されたカップを受け取った。
「もてなしてくれるの?」
 ツグミにおばけは頷き、椅子を引いて彼女を促した。ツグミはちょこんと椅子に座り、カップに口をつける。
 しかし――。
「うわっ、泥水」
 飲み物は腐った臭いがした。ツグミは渋面を作りながらカップを突っ返した。
 おばけは慌ててそれを引っ込めると、今度はジュースの瓶を持って来てくれた。だが、空き瓶に泥水を詰めただけにしか見えなかったし、やはり腐った臭いがした。
「いらない。ごちそうさま」
 ツグミは椅子から飛び降りると、玄関へと向かった。部屋から出ようと木の扉のノブをひねるが、びくともしなかった。
 ツグミは、おばけの方を振り向く。おばけは、薄汚れたスケッチブックに何かを書いてツグミに見せた。

 そこには、『ずっとここにいて』と書かれていた。
「無理。こんな風に行動を強要されるのは嫌。そんなの、ペットみたいだし」
 ハッキリとした物言いに、おばけは動揺したように身体を震わせる。
 シーツの下から、ごわごわした真っ黒な腕を露わにして、ツグミの方へと向けた。捲れたシーツの下には、大きな口が見えた気がした。ツグミの小さな身体なんて、ひと呑みに出来そうなくらいだ。
「もしかして、行方不明になった人は……」
 ツグミは、自分の足元にある持ち主不明の靴や鞄を見やる。おばけは、『ずっとここにいて』と書かれたスケッチブックを持ったままだった。
 彼はきっと、ツグミのように招いた人々を丸呑みにしてしまったのだ。
 文字通り、そこにいさせるために。

「ねえ、あなたは」
 異形の腕が、ツグミの眼前に迫る。それでも、ツグミは真っ直ぐにおばけを見据えた。
「もしかして、寂しいの?」
 おばけの腕が、ぴたりと止まった。
 シーツに描かれた笑顔の目から、ぽろぽろと大粒の雫が幾つも零れた。描かれた目は二つだったけれど、たった二つでは出せないほどの涙が。
「あなた、不器用なんだね。寂しさを埋めるために人をもてなそうとするけれど、もてなし方が下手だから、逃げられてしまって……」
 おばけの腕は、萎んだようにシーツの中へと戻っていく。その間、おばけはずっと涙を流していた。
「あなたのことは分かったけど、私は帰りたい。私には待っている人がいるし、その人達から私を取り上げないで」
 ツグミは、はっきりと言った。
「寂しい気持ちがわかるあなたなら、取り上げられた人の気持ちも分かるでしょう?」
 おばけはポロポロと涙を流しながら、力なく頷いた。すると、閉まっていた扉は勝手に開いた。
「有り難う。私はもう帰るけど――」
 ツグミはそっと手を差し出す。
「また、遊びに来る。友達には、なれるから」
 おばけは、ぱっと顔を上げた。シーツに描かれた笑顔は、輝いたように見えた。
 ツグミの小さな手に、おばけはシーツ越しに触れた。おばけの手の感触は奇妙なもので、昆虫の肢のようでもあったし、泥の沼に手を突っ込んでいるような気分にもなった。
「またね」
 ツグミが手を振ると、おばけはスケッチブックに『また、あそぼ』と書いて見せた。

 再開の約束を交わし、部屋から出ると、扉はひとりでに閉まる。
 次に会う時は、家で使っていないテーブルクロスを持って行こうか。それとも、飲み物でも持って行った方がいいだろうか。
 ぼんやりとそう考えていたツグミであったが、振り返ると、あったはずの扉は消えていた。
 その代わりに、玄関に転がっていた靴や鞄、テーブルクロスに使われていた誰かのシャツが落ちていた。
「……仕方ないなぁ」
 ツグミはそれらを拾い集め、のろのろとその場を去る。おばけに帰ることを許されず、行方不明になったとされた彼らの痕跡を、しかるべき場所へ帰すために。


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