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ささやかな幸せを噛み締める大切さ

PC開いてNOTEを書き、自分の考えを世界に発信できるだなんてありがたいなぁ。ふと横には、イヤフォンとスマホが。ああ、大好きな音楽を手軽に持ち運べるだなんてありがたいなぁ。

ちゃんとした椅子に座って、机に向かってお仕事できてありがたいなぁ。毎朝のお茶一杯。なんて美味しい。淹れてくれた人、茶葉を育ててくれた人、届けてくれた人、育んだ大地、自然、ありがとう。

泣いたり、いやいや言ったり、いっぱい笑ったり。娘。笑かしてくれたり、怒ってくれたり、バカやったり。妻。産んでくれた両親に、両親を産んでくれた祖先に、ありがとう。

ああ、朝日を浴びて、スッと息を吸って、はぁーっと息を吐き出す。あぁ、気持ちいい。生きてる。ああ、今日も生がある。生きている。ありがたい。


少し目線を変えて世界を見渡すと、なんだか、感謝する対象で溢れています。その広がりは、強い刺激から弱い刺激へ。魅惑的なものから一見当たり前そうなものへと、静かな水面にポツンと落ちた石が広げる波紋の内から外のように広がっていきます。

人の脳は、魅惑的で、強いシグナルに反応しやすい。スマホにはそれが詰まっているし、資本主義世界においては、いかに人のアテンション、注意を引くのかの戦いでもあり、広告が世界を席巻しているといってもいいかもしれない。新しい技術やテクノロジーも便利で新しい豊かさを確かに産んでくれてありがたい。

でも、強い魅惑的なものばかりでしか脳が豊かさを感じられない脳になってはならない。それは脳の退化である。脳が誰かの便利の作り手によって洗脳されていると言っても過言ではない。

うまく便利なものを乗りこなし、活用する側でなくてはならない。そうして、何気ない幸せにも注意を傾け、ほっこりと感じ入る。噛み締める。

ささやかな幸せを感じ取れる人は、強いシグナルにも反応できるでしょう。でも強いシグナルだけに慣れちゃっている人は、ささやかな幸せを感じられない。幸せの表面積が低くなってしまう。


このことは、2022年夏、218名の方に科学的に考えられた100問近い質問に答えていただき、判明した事実とビタッと一致する。

今、幸せを強く感じられている人に最も特徴的に現れた(正確には、幸せの度合いとの相関性が高かった)因子のトップ2が、
第1位 (r=.78):何気ない日常生活で、幸せを多く感じている
第2位 (r=.67):些細なことで、楽しめたり、幸せを感じやすい
だったのです。(→TOP10ランキング

実は、ランキングには出てこないのですが、質問の中には、「刺激的なものが好き」という項目があるのですが、それは特に幸せとの関係性、相関性は見出されませんでした。

TOP10には、自分が好きだとか、自分を大切にしてるなどもあるのですが、それらを抑えて、同系統の1位と2位が現れたのは、やはり見逃せない事実と思うのです。

そして、それは先に説明したように、ささやかな幸せのシグナルにも反応できる人は、世界の移り方が違う。世界がよりカラフルでハッピーに映る。世界がどうあるかではなく、世界をどう捉え映し出すのか、それが重要で、それが如実に現れたということなのでしょう。

1位と2位の違いは、2位が1位を包含している関係性を意図してデザインされています。ささやかな幸せの中には、日常のささやかな幸せを含みます。1位がより限定された内容となっています。

たまに子どもにおままごとしよーって言われ、「(なんだめんどくさいなぁ)オッケー↓」なのか「(よぉ〜し、せっかくだから楽しんじゃおう)オッケー↑」なのかでは、違いますよね。

毎日とは言わないけど、いろんな局面で、出くわす事態・現象に対して、「せっかくだし楽しんでみるか」「何か楽しいこと、面白いことはないかな」とそんな脳のモードを活用できるということなんです。とても大切な能力ですし、きっと仕事などにも活かされるスキルに違いないでしょう。

このように、第2位 「些細なことで、楽しめたり、幸せを感じやすい」もすごく大切で、それの極め付けが、もうまさに毎日の日常で見出せてしまうのが、第1位「何気ない日常生活で、幸せを多く感じている」なのです。

「あー洗濯物畳むのめんどくさい」が、「いい香りの洗濯物をきれいに畳むのが気持ちいい」。当たり前のようにいただく3食を心から、命をいただいていることに感謝して「いただきます」できているのか、なんも感じずに貪り食うだけなのか。

幸せは、どこかにあるのではなく、今この瞬間、自分次第で自分の内側に宿らせることができる。いっぱいのハッピーちゃん(それが天使ちゃん?)にやってきてもらいましょう。

それが極まる人は、どんどん思いを馳せる人の繋がりも広がっていき、先祖代々への感謝を大切にしますし、究極、今日一日ある事ができた。存在する事ができた。そのことに途方もない奇跡と捉え、感謝し幸せを感じることができる。少なくとも、自分や自分の周りの大切な人がいてくれて、存在してくれて、もうそれだけでありがとう。それが大切なのでしょう。

このことは、禅の世界でも「盲亀浮木」の例としてもよく説明されます。100年に一度水面に顔を出す亀が、たまたま海に浮かぶ木に空いた穴にスポッと入る確率は、極めて低い。限りなくゼロに近い。でも、我々がこうやって生を与えられて生きていることも、そのくらい奇跡的なことなのだよという教えだそうです。

当たり前そうなことは、全然、当たり前でなくて、それを噛み締める豊かさ。楽しさ。幸せ。

日々の何気ない幸せを一緒に探してみませんか?皆さんの日常の幸せはなんでしょうか?

心地よい朝陽を浴びながら。

青砥瑞人

Picture from

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