ふくきたる
『今日も、朝から福来たる』なんてねとひとりごちながら、服着たる。
もちろん、お風呂の前には服脱ぎたる。
言いたいだけ。
突然ですが、服が好きです。
突然ですが、福も好きです。
心から気に入ったものがあれば買って、それを何年も何年も大切にしています。持っている数が少ないので当然着回しのレパートリーも多くないのですが、同じものを着ても満足なのです。
時に服そのものの美しさやユニークなデザインを、熱にうなされたように愛してしまい、TPOをわきまえたとしてもどこで着ればいいのか悩んでしまうようなアイテムも存在していますが、そういったものは一旦服の定義を棚に上げています。
しかしながらリモートワークの定着化に伴い、服を買う意欲もフリーフォール並みの勢いで低下し、もっぱら上半身のみきちんとしていれば良いという毎日において、見事に置き去りにされた下半身には、よれよれのスウェットしか与えられない日々。
ギリシア神話に登場する半身半獣のパーン神ぐらい上下が違う。
ごめんな、下半身。
はやくにんげんになりたい!
ベムより。
そんな、服が好きだの着回しだの、何をのたもうているのだという暮らしの中、この春珍しく服を買いたい意欲が湧き起こってきました。久しぶりの仕入れです。
まだ外は冬と春を行きつ戻りつしている状況の中、お店には春から夏にかけての軽やかな気持ちを助長してくれるような洋服がずらりと並んでいます。店員さんによっては、すっかり夏へと行ききった方もおられ、これから訪れる開放的な季節を身近に感じさせてくれます。
冬の重厚なファッションも素敵だけど、春や夏の爽やかな装もいい。
3店舗ほど巡った頃でしょうか。あるセレクトショップで、入口から順に見ていた時の事です。
おや。おやおやおや。
この出会い方は、朝遅刻しそうになりながら、食パンを口にくわえて家を飛びを出した女子高生が角を曲がったところで男子高校生と運命的にぶつかるそれに似て。
美しいブルーグレーの、ロングワンピース。
手に取った瞬間に、フワッサラッと風が吹き抜ける。
圧倒的な存在感を放つワンピースは、何の変哲もないようでいて、何ものにも似ていない確固たるユニークさがありました。
光沢のある生地は繊細でありながら、触れるととてもしっかりしています。
ウエスト部分は、シルバーのボタンでサイズ調整できるような装飾が施されていて、スカート部分には絶妙な長さのスリットが入っています。
肩のラインが少し立体的に縫製されていて、それによって全体の雰囲気に強さが感じられるように思います。
前後左右4ヶ所にポケットが縫製されているところなどは、最大の魅力です。
ポケット大好き。
いつか便利な道具を取り出せると信じてる。
とにかく、じっくりと見れば見るほど愛すべきポイントがたくさん見つかり、ほれぼれとするような造形美が浮かび上がってきます。
私は舐め回すように眺めたあと、試着する事に決めました。
試着室などいつぶりでしょうか。
目を逸らさずに現実を見よと言わんばかりに、鏡に映る自分の姿を容赦なくスポットライトが照らし出す。
ワンピースの背中部分に付けられているジッパーを途中まで下ろして、足元からワンピースを着用する。
太ももを通過したあたりでヒップミートが邪魔をしてそれ以上服が上がらなくなり、まるで古代ギリシヤ時代に製作された彫刻のミロのヴィーナス状態になる。またギリシヤ。
悲しみに暮れながらもう一度ジッパーを下まで下ろしてやりなおす。
袖を通したあと、ジッパーを上げようと手を背中に回した瞬間、なまりきった身体の可動域の狭さに驚いて瞳孔が開く。
鏡を見ると西川きよし師匠が映る。
何とか試着を完了させました。
さらりとした着心地、ロングワンピースの柔らかな雰囲気を醸し出しつつも、どこか芯の強さが感じられるデザイン。背筋をピンと伸ばし、堂々と歩きたくなるワンピースは想像以上に鏡に映る自分を肯定してくれているようです。
洒落とる。
一旦その日は即決せずに、帰ってからブランドデザイナーについて調べました。
新進気鋭の女性デザイナー。
インタビュー記事や動画では、仕事に対する思い、素材や縫製へのこだわりなどが語られていました。フランスにいる頃感じた、日本とは異なる対等な社会の在り方に対する気付きから、強くありたいとワークウエアをベースにしたドレス(ワンピース)を作ったのがキッカケとなった事や、世の中にない、唯一無二のものを作りたいという想いがブランドフィロソフィーである事を知りました。
それは、その日出会ったワンピースから受けた印象そのものでした。
『服は、内面により近いものを選び取る事で自分らしさを表現してくれるものだから大切だと思っている』
静かに語られた言葉には、とても重みがありました。
近年、物を買い消費する事への意味がより強く求められ、ブランドへの共感や信頼といったものがより重視される時代、いわば、“モノよりコト”が消費の対象となる時代などと言われます。
その使い古されたフレーズに半ば嫌気がさしていましたが、それでもやっぱりそういうことって大事なのだと、自分の心が動いてこそ、改めて感じたのです。
これずっと大切にしよう。
現在我が家のクローゼットでは、そのワンピースが今か今かと出番を待っています。
きっとそれを着て出かける日は、“福来る”に違いありません。
無理に言いたいだけ。
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