魚に話/雨月日記

まな板の上の忘れ去られた魚たち

魚に話
 
 刺し身だったり煮魚だったり焼き魚であったり、魚屋に行っては安いものはないかと言って、脆弱な命の欠片を毎日々々、食べているにはいる。魚に貧血はあるのだろうかと思いながら、皿の上で反り返る物に、それも今となってはどちらでもいい事かと、手を合わせて木箸を入れる。「アタシ貧血ナノ、」などと身体の小さな悩みでも打ち明けられれば何か僕にもしてやれる事があったのかもしれないのに、僕たちが出会う事を確定された頃にはもうすでに息も絶えて運ばれる用意をされているのだという、分かりきっている運命を受け入れなければならないのだが、それは魚に教えることが出来ずに食卓で閉口する。そう言えば昨日新入の売春婦を呼んだが、混血であった。曾祖母の代まで遡って四色の血が入っているそうで、どこの売春婦もそうするように部屋に入るなり勝手に脱ぎ始めた贅肉のある背中には、老婆の顔が彫り込まれていた。何故と言いながら、肩甲骨の隙き間に指を入れて引き寄せ肩を咬んでいると「ワタシノオ婆チャン、テコトニシトイテヨ、」と、出来ることなら信じてやりたい気持ちもする嘘を喘ぎながら言ったので、新入には心付けしないで酒でも呑ませて帰らせようかと思っていたのを、ちゃんとこっちも、仕事をしようと心に決めた。皿の上にも布団の上にも白い紙の上にも、魚や女や詩、それら以外の物も載っているのだから、人間である前に詩人である僕がしなければならないことは、それらをすべて平らげることなのではないかと、まったく動かない女に被さりながら思っていた。事を済ませて「アタシ、心ハ処女ナノ、」と、部屋の木壁の間に爪を喰い込ませて話す新入に向かって、僕は何とも言えないで、ただ麦酒の小瓶の蓋を開けた。それを飲ませながら、名前を聞いてやると新入は、ぼんやり「ハル、」と応えた。―――亀之助の「不幸な夢」のように、いつか空がそのまま海になる日が来たら―――そうなれば僕とハルは水着になって、魚たちと楽しく海になった空を飛べるのだから「僕は不幸な夢を叶えるまで詩を書き続けることにする。」と、今日も食卓に上った魚たちに約束した。


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