犬の居る隣家/雨月日記

閻魔様は私という人間も等しく罰してくれる

犬の居る隣家
 
 愛犬がいる。犬は隣家に住んでいる。ここまでで、僕と僕の犬に対する異常さと言うか、そういうものが識者にも理解してもらえると思う。つまりは「愛犬」は愛している犬なのである。飼っていなければ愛犬ではない―――そうでもあるなら、犬などもう一生飼わない。僕は、もしも犬を飼う事があるなら、恋人ぐらいには自分の犬を「愛犬」と呼ばせてやりたい。それでも、僕はその隣家の家人である馴染みの友人の妹にも、下らないRomanceの御相手にもされないのだから、その資格はないのかもしれない。僕はこの妹に三回結婚を申し込んで六回断られている。その犬の眼を見ていると吸い込まれそうになる。出来合いの表現だが本当にそうなのだからイヤになる。その眼を見ている時、「どうしてお前は犬で僕は人間なのだ?」という事を本気で考えたりする。だが、たとえ僕が犬になろうと、犬が人間になろうと。僕が最初から犬で産まれようと、犬が最初から人間で産まれようと。僕たちは、僕たちの関係の上でそうなのだから何にも変わらないのだろう。僕には犬の言分は分からないし、犬には僕の詩文の意味など、もっと分からない。だからこそ、僕たちはどこまでも、輪廻の歯車のどん尻まで行ったとしても、閻魔さまによってずっと根本的なところで、くり返しくり返し引き離されるのだろう。犬まで地獄に落ちるような風に書いてしまったが、きっと僕とは違って天国のようなところに行けるのだろう。僕は、僕と会う時にここまで喜々とする他人に会った事がない。それだけで僕の歪んだ厭世の心労を溶かしてくれる存在なのだから、罰則を受ける謂われがない。それでも、僕の気掛かりと言えば、僕と出会った事そのものがすでに重罪なのかもしれないという―――つまりは、何の関わりにしろ、僕という人間を生かしておいてしまう要因になるものはすべて等しく罰せられるという因果が、犬にも降り掛かってしまうということを、ただ本気で危惧しているのだ。そうなると、僕に人間としても出会ってしまった多くの人達も地獄に落ちるのだという事になってしまうのだが、それは別に僕にはどうでもいいことだし、犬さえ地獄に落ちなければそれでいいと思ってしまおう。さて、僕が犬の家の前を通ると必ず犬は吠えるのだが、家人の居るときには僕はその名前を呼ばないようにしている。犬の名前は、雌犬なのに男子のような名前である。彼女は来世も男子のような名前で僕の前に現れるのだろう。またも「話の通じない頭の悪そうな短い命の少女」となって僕を困らせる。それでも、その時はまた好きなさつまいもでも持たせて、散歩にでも連れ出してやろうとそう思っている。

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