18で人生は決まるし、22でも人生は決まる。なんなら生まれたときに人生は決まる。年々決まり続けるーYahooニュース、プレジデント社の気持ち悪い出羽守と浅い記事

ヨーロッパではさまざまな年齢の人が大学を受験しますが、日本や韓国などではまだ18歳が一般的。18歳のときの試験で将来が決まってしまう、しかもチャンスは1回限り──。こう思い込んでいると、受験生はどうしても追い詰められてしまいます。

突っ込みどころしかない記事

出羽守御用達。ヨーロッパではーそれに引き換え日本はー

ヨーロッパも広い。大学入試制度も色々だ。

イギリスは未だ階級制度。

高額な学費以上の見返り

 そんなイギリス最高峰の学校に通うのは、もちろん高くつく。学費は年間でおよそ3万ポンド(約430万円)。たとえば2人の息子を5年間通わせるには、50万ポンド(約7000万円)くらいの所得が必要になるわけだ。

 だが裕福で抜け目ない彼らは、教育以上のものに金を払っていることをよく承知している。ましてや、オックスフォードやケンブリッジ大学入学のチャンスを広げるためでもない。

 イギリスのエリートは、大学なんかに行く前からすでにネットワークや友人関係を築いているのだ。そしてオックスフォードやケンブリッジに入ると、彼らは似たようなバックグラウンドを持つまた別のネットワークと関係を築く。一方で、公立学校からオックスフォードに入学した学生たちは普通、自分がエリートの仲間入りしたなんて思っていない。

 その違いは明らかだ。例えばイートン出身のボリス・ジョンソンやデービッド・キャメロンは、オックスフォード大学時代に「ブリントンクラブ」のメンバーだった。リッチな家柄の息子たちがドレスアップし、レストランで酒を飲んでは暴れ回る集まりだ。僕は彼らと同じくらいの時代にオックスフォードに通っていたが、そんなクラブの存在すら知らなかった。

 大まかに言えば、イギリスのエリートはオックスフォードやケンブリッジ出身だからエリートなのではない。パブリックスクール出身だからこそエリートなのだ(そして卒業後は大半がオックスフォードかケンブリッジに行く)。こうした私立学校で教育を受ける生徒の割合はイギリス全体でわずか7%。なのに彼らは、その比率に見合わないほど各界で大成功している

これほんと幼稚舎。イギリスの階級制度は未だ華やか。

フランスのグランゼコールいくなら17だ。

フランスの一般の高校生と同じく、17才で高校卒業、バカロレアを受験します。
このバカロレアのスコアが良かった場合は、先生からグランゼコールに進むための教育機関CPGE(classes préparatoires aux grandes écoles)への進学を進められます。
ここに入学した学生は2年後に控えるどのグランゼコールに行くかを決めるためのテストコンクール(Concours)に向けて昼夜勉強に励むことになります。
コンクールの試験は非常にレベルが高く、約1週間にわたって行われます。

グランゼコール

ENAは政治に特化したグランゼコールで、毎年100人しか入学枠がありません。いわば東大法学部をさらに難関にしたようなもので、エリート中のエリートが集まる有名校です(2019年には、貧富の格差からこのENAの廃止がマクロン大統領より提案されたものの、最終的に門戸を開くとともに校名を変えて存続させる形で落ち着きました)。

ドイツはギムナジウム行くかマイスターかは小学校で決まる。

まず、第一人気は大学に進学するためのアビトゥーアがとれる8年制エリートコースの「ギムナジウム」。日本人の間では、カトリック系の躾の厳しい小学校に4年間入れて、このギムナジウムに進学させるのが理想とされています。しかし現実は厳しく、4年生の通信簿が5段階のうち、オール1or2以上でないと入学するのが難しい上、万が一合格しても授業についていけなければ、留年やランクを下げた学校への移動という「ふるい」にかけられます。ストレートに卒業できるのが6〜7割程度。いかに優等生組でないと生き残れないプレッシャーをかけられるかが分かります。

以上英独仏の人生が日本より早く決まるという話でした

というかもう嘘大げさ紛らわしいでは?この記事。
ヨーロッパの強国三国ともに人生は日本より早い段階で決まる。  

世界人口で見ても

人口で考えれば中国、インドどちらも人生は一発試験で決まる。

高試やJEEだ。日韓含めて30億人以上は18の試験で人生の大きな部分が決まる。

中国には日本のような大学個別の入試はほぼ無く、本当に高考だけの一発勝負です。受験生は、朝から晩まで勉強します。日本の一般的な受験のイメージより、遥かに壮絶です。
「勉強し過ぎて死ぬことはないから、死ぬほど勉強しよう」というスローガンがあるほど。
食事や睡眠の時間まで削ったり、勉強時間を確保するために親が学校の近くにアパートを借りるのも珍しくないと言うのだから驚きです。

本当になんて気持ち悪い記事だろう。いきなり嘘大げさ紛らわしい。
著者は検索ができないのだろうか。

浪人する価値なんてあるか?

1回で合格できなければ浪人という選択肢もあるわけですが、今の若者は浪人することにもプレッシャーを感じているようです。ある名門進学校の生徒たちは、「浪人は東大以外ありえない」と話していました。東大志望なら浪人しても許されるが、それ以外の大学は浪人してまでめざすなどありえないということでしょう。

何度も言ってるが、無理して受かるとこいっても仕方ない。水川かたまりのように半年くらいやってスイスイ受かるところがタマタマ慶応というぐらいがよい。

人生を勉強で塗りつぶし東大に入ると、遊んで東大入ったやつにコンプレックス爆発させたりするし、青春とりもどそうと後でろくなことにならない。

自分の仕事や将来をイメージできない大学生がいやなら社会学やらの文系学部廃止したら?デンマークみたいに

こうなると、試験に合格して大学に入る=ゴールと考える若者が増えても不思議ではありません。実際、自分の仕事や将来をイメージできない大学生はたくさんいますし、例えば、有名大学の経済学部を出たのに「経済学とはどのような学問か」と聞かれても何も答えられない若者もいます。彼らにとっては大学に入るところまでが重要なのであって、入学後に何を学ぶかは重要ではないのです。

あなたの感想ですよね。

仕事や将来と大学直結させたいなら、文系の社会学部なんか即潰すべきだよな。

こうした事情は高等教育でも同じで、2005年にアナス・フォー・ラスムセン首相は「(大学は)社会が必要としているものを研究すべきであり」「生産物を調達する者に対して資金を出そう」と演説した。科学大臣も「もっとも優れた研究者により多くの資金を与える」との声明を出している。

 こうして2010年から、研究者の業績を国際的なジャーナルの引用回数や出版物の数で計り、その数値に応じて研究費を割り当てることが決まった。これは「計量書誌学的研究指標」と呼ばれ、レベル1とレベル2があり、レベル1は(デンマーク語の)論文1本で1ポイント、著書は1冊で5ポイント、レベル2は英語の学術誌の論文が3ポイント、英語圏の有名出版社からの著書が8ポイント、そのほか博士論文は2ポイント、その上の学位となる大博士論文は5ポイント、特許は1ポイントなど細かな数値が指定されている。

 こうした改革(改悪)については当然、研究者の非難や怨嗟の声が殺到しており、「自然科学など理系の分野を偏重し、社会科学や人文科学の価値を軽んじる」とか、「英語での研究成果がデンマーク語より格段に高ポイントなのは不公正」だとかいわれているようだ。実際に、英語圏での関心が期待できないデンマークの国内文化や歴史の研究領域では、英語で発表する機会がもてず低いポイントにとどまり、補助金の獲得も難しくなっているという。

真っ先に社会学は廃止しよう。マーチ未満の文系大学は全廃でいい。大学教授の数も大幅に減らして理系研究者を育成しよう。デンマークを見習え。

あなたの感想ですよね。そして想像力が欠けてる

ただ、こうした風潮は今に始まったことではないと思います。僕が受験生だった頃にも、中には「早稲田大学に入りたいから全学部受ける」という友人がいました。早稲田に入れさえすればどの学部でもいいなんて、僕には謎でしかありませんでした。

早稲田の校風に惹かれたかもしれんだろ。学長大隈重信を慕ったのかもしれんだろ。想像力欠けてるよね。明らかに。
学者というのに好奇心も想像力もかけすぎだろ。レベルが気持ち悪い
どこ大学だろ。

1994年都立武蔵高等学校卒業、1999年武蔵大学人文学部社会学科卒業

あっ…(察し)

明確な目標のため、不要なものを切り捨てることを否定する

何のために合格したいのかではなく、合格すること自体に重点を置いてしまうのは大きな問題です。これは日本の教育が招いた弊害と言えるでしょう。いまだに偏差値の高い大学に合格することがよしとされ、そのため高校3年生になると試験科目以外は勉強しなくなる場合も少なくありません。

そらそうだろう。偏差値高いとこ受かるためと言うが、受験不要科目に力入れて、必要科目がおろそかになって落ちたら馬鹿だろ。

時間は有限の資産なのに。
目標達成のために必要な能力資源が限られている中、課されている課題、課されない課題の切り分けもせず、先生がやれっていうからやろう!試験に出ない科目だけど!
大学入試は落ちた!
これは優先順位もつけられないバカとしか言いようがない。

結論

前提から嘘大げさ紛らわしい。
人の気持ちを推測することも、想像することもできない気持ち悪さ。
卒業大学も察し
目的に対する優先順位付けも否定する

こういう文系学者(笑)に払う金を理系に進む学生に回すべきだし、大学は大幅に減らすべき。

そして、人生は時間ともに選択肢が減り続ける。
ただ選択肢が膨大だと人は選択ができない。

ある程度選択肢は減らさざるを得ない。

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