おくんち中日
先週買ったフリルのような白い花はまだ健在で、思い出したかのように水を替えた。
毎日水を替えた方がいい説と毎日はやり過ぎな説と、いつも都合のいいほうを選ぶ。花による、きっと。それで私はその花ごとの最適を毎回調べるほど丁寧な生活は送れない。一度そんなことしてしまえば今後買う花たちに同じことが出来なかったら申し訳なくなる。
上げすぎては降りてこられないことを知っている。
花瓶の下からコースターを抜いた。
よく見たらびっくりするぐらい花と花瓶と、似合っていなかった。
自分の大切な人が自分のような生活を送っていたら嫌で色々小言を言うだろうな、というのが最近家事の原動力。今日なんて米を炊いて洗濯物をして、それから思い立って仕事前にくんちを観に行った。
朝から窓を開けるとしゃぎりの細く上に伸びる笛の音が部屋に。米を炊いて洗濯を回して、納豆ご飯を準備をしながら決心がついた。
米が炊き上がるまでにメイクを完璧にして、納豆ご飯をしっかり食べて、ちょうど終わる洗濯物を干す。
メイクは何故かいつもより濃い。強めのハイライトを入れて、アイシャドウまで塗っていた。かわいくて満足する。
昼の弁当まで作って(母が持たせてくれた牛丼の上を弁当の体にしたのみ)リュックに詰め仕込み、職場で許されるギリギリのラインを攻めたラフな格好をする。白いロンTに黒スキニー。どうせ職場では職場のジャンパーを羽織る。
くんちをみて、仕事に行った。
大きい音は苦手で、太鼓と鈴と人のたくさんの声はちょっと堪えた。わたしは音を衝撃波だと思っている節がある。音が空気の波だと知ってホラねと得心した幼少期をねつ造しそう。
でも、そんなことは気にならないくらい、くんちは真っ直ぐで心地よかった。地面に叩きつけられたメンコとか、合気道の礼が綺麗に出来たときとか。それのもっと高尚なやつ。
わたしの身近ではそんな些末なところからしか拾えなくて申し訳ないのだけれど、とても大きくて真っ直ぐな力がある。
仕事はまぁ、いつも通り。ちょっとミス。たぶんちょっとだと思いたい。ちょっとになるように頑張るし、これからはないようにメモしておきます、という宣言。社会人五年目っていうことに毎回新鮮に驚く。驚くなよ。
帰宅。半額だったモツァレラチーズと梨を合わせる。豆腐と豆苗、キムチのサラダも追加。ラジオで聞いたセブンのチョコ生サンドは取り扱い無しで買えず、代わりに齧るガトーショコラというもの。喉にちょっと詰まる系。とてもおいしい。
急なやる気が自分を襲って、食洗機に食器を放り込み、風呂を掃除して風呂を貯め、その間に掃除機までかけた。
ずっと完璧にしたら疲れるぞ、って自分に言い聞かせながらしてて、自分でも面白い。
やっと時偶の百パーより、生活は持続の六〇パーではないかなと思えた。でも内なる完璧主義が、「七〇パーってしとけよ」と要らんアドバイスを寄こす。聞く耳は持たない。
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