世界にもし屋根が無かったら

食糧が尽きた。人間が住む町まであと約200kmか。このボロい自転車で最低2日はかかるな。2日か...2日くらい飯無しで行けるか。なんか70年断食しているインド人がいるとか聞いたことあるし。水は川の水を飲めばいい。
 意外とおれの脳は、こういう命に関わるようなピンチの時は冷静でいてくれるらしい。
 いや待て、それよりどうしてこうなった。


 アラスカの大地に足をつけたのは約1ヶ月前の9月初旬。夏の終わりといえど、残暑なんて微塵も感じない。気温は日本の冬並みである。

 誰もいない場所へ行こうと来てみたものの、ほぼノープランであった。臆病であるという自負はあるものの、たまにこういう大胆な行動もしてしまうのだから無意識とは底知れずこわいものである。そしてその無意識が今、とりあえず北へ行けと言っている。

 降り立ったのはフェアバンクスという北極圏に近い町で、ここより北には町らしい町はなく、人もほぼ住んでいない。誰もいない場所、誰も行ったことのない場所へ向かうにはなかなかいい舞台であった。

 まず、町にあるアウトドアショップやスーパーで、森で生活するための装備や食糧を揃えた。100ドルでチープなマウンテンバイクを買い、それに荷台をつけ、日本から持ち込んだテント、寝袋、炊事具に加え、釣竿や調理用の燃料、その他生活必需品をロープでぐるぐるに巻きつけた。
食糧は、何となくこれだけあれば足りるやろ!という量の米、パスタ、インスタント麺、ハム、チーズ、スープの素や調味料などと、4Lの水の入ったボトル。
完璧だ。準備は整った。

 次の日の朝、一泊した町外れのキャンプ場を出発して北へ漕ぎ出した。漕ぐたびに無理矢理くくりつけた荷物たちが左へ右へとゆられる。そしてペダルもなんだかガクガクしている。恐らく許容積載量を超えているのか、自転車は早くも限界そうな様子であった。北へ向かって漕ぐにつれ車はほとんど見なくなった。

 それにしてもずっとアップダウンの連続で、体力に自信のあるはずのおれの足も、中盤から完全にプルっていた。100kmも漕げず、夕方になると体の電源が落ちるように動けなくなり、森の中で自転車とともに倒れ込んだ。後に知ることだが、これはハンガーノックという状態らしい。極度の低血糖状態で、まあガス欠みたいなものなのだが、本当に体がシャットダウンして力が入らなくなってしまう。ベッドで寝させてくれ〜できれば広々ダブルベッドで〜。と、今すぐにでもそのまま寝てしまいたいほど憔悴していたのだが、日が沈み汗が冷え、寒さで正気に戻った。インスタント麺をそのままボリボリと頬張り、なんとかテントを張り寝袋を広げ、丸太のように眠った。

 翌朝、ひどい筋肉痛と空腹で目覚めた。早くも後悔していた。何でこんなことしているんだ。帰る?どうする?帰る?まだ町は近いぞ?すぐに帰れる距離だぞ?という己の弱さが、これでもかと帰り道をチラつかせてきたが、腹いっぱい米を食ったら邪念は消えた。おれの脳は単純で助かる。 
 
 2日目から舗装路は途絶え、そこから北極圏まではダートを走ることになる。2日目もずっと山を越えては、また山を越え、といった感じのハードな道であった。アップダウンの連続は何がきついかというと、グッグッと踏ん張って長時間かけて上っても、下りはスピードに任せて一瞬で終わってしまうため、すぐにまた息を切らせながら上らなければならない。上りと下りの距離が同じであったとしても、時間的には上っている時間が圧倒的に長く、体感では1日のうち9割以上が上りであったのではないかというくらい体力を消耗する。そんな道を、荷物を積んだ重い自転車で、さらに激しい筋肉痛を抱えながらサイクリングしているのだからもう最高であった。

 そしてそんな状況下で、まさかの雨が降りはじめた。「まさかの」というのは、「想定外であった」という意味なのはご存知の通りであろうが、2日前に準備は完璧だとあぐらをかいていたおれは、雨具を買うの忘れていたことにこの時気がついた。かなり想定しやすいイレギュラーにも関わらず、なんという凡ミスであろうか。最高である。そして不幸にもこの雨は3日続いた。

 屋根のない世界を想像したことがあるだろうか。頭上に遮るものがなく、太陽が燦々と降り注ぐ世界。そして、雨が降れば隠れる場所のない世界...そう、おれはこの時にようやく自分が屋根のない場所に身を投じていることに気がついた。そしてそれは中々に酷な世界であった。辛うじて屋根になりそうなテントは、数年前にエジプトで千円ほどで買った透水性抜群の安物であったため、大雨になると浸水、寝袋も濡れた。

 衣類はビニール袋にいれていたのだが、3日もすると着替えもすべて濡れてしまった。屋根がないと干す場所もない。夜は濡れた服を脱いで裸で寝袋にくるまって震えながらどうにか寝た。朝が来たら前日脱いだ濡れた服を着なければならい。気温は日本の冬並みである。耐えきれず、叫びながら濡れた冷たい服を着た。周囲100km以上誰もいないため、深い森に雄叫びが虚しくこだましていた。そんなストレスも重なり疲労困憊であったが、自転車は漕ぎ続けた。漕いでいなければ寒くてどうしようもなかった。


 3日後ようやく太陽が顔を出した。待ち侘びていた太陽に歓喜する余力はなく、心の底から安堵した。


続く。

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