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祖母の詩篇①

祖父母は農家でお茶をやっていたから
GWにはお茶を摘んだし(皆が想像するあんな格好はしないよ)
夏休みには玉蜀黍やトマトを採った。
家も小屋みたいだし
本当にトトロみたいな田舎だった。


庭にはいつも季節の花が咲いていて
辛夷、紫陽花、菖蒲、鉄線、凌霄花、立葵、ひなげし、紫式部、烏瓜、菊、椿、、
ダリアや百日草にはいつも揚羽や青条揚羽が舞ってきた。
黄色とピンクのマーブル模様の白粉花は祖母のお気に入りだった。


納屋の木の割れ目には日本蜥蜴が蒼く光り
ちいさな野鼠が畑で悪戯していた。


盆栽や菊を育てるのが祖父の趣味で
祖母も花や鳥が好きだった。
機関車の汽笛が響くばかりで娯楽のない田舎では
そういうものが楽しみだったのだと思う。


マグノリアの花を食べる鳥がいることや
他の鳥の鳴き声を真似する百舌のこと
カワラヒワや、夜半に鳴く鳥は鵺が鳴くのだと昔はいったこと
現の証拠なんて名前の花が咲いていること
昔からあるような花の名前は、祖母が多くを教えてくれた。
滝廉太郎の話や、朧月夜の話をしたこともあった。




そういう祖母が書いた文章を、すこし記事を分けながら掲載します。


祖母の書いた詩篇


ねむの花に寄せて

 あかりが点いた 月も出た
 ねんねんねこの葉も寝てしもた
 さよならさよなら帰りましょ
 母さんのお傍へ帰りましょ

 幼い頃、母の唄って呉れた歌が、と脳裡に甦りって来た。

 思い切り張り広げた濃緑の葉の上に、ふんわりと乗っかって咲くねむの花が、今年は近年になく沢山咲いたな………と、思ってその優雅な姿を眺めていた時だった。

  子供の頃聞いたその歌が、節も文句もその儘に、何のよどみもなくすらすらと思い出せたのを、我ながら感心しながら、その歌の意味をなぞってみた。

 あかりが点いた月も出た! そう言えば、私達の子供の頃は、夕方になると各家の電燈が一勢に点いた。
時間は定かではないが、遊び呆けた子供達が、家に帰る頃合に、丁度 適度な時間だったのかもしれない。

  お互いに、「お別れ三っつ、菓子三っつ」 などと、言いながら、背中をポンポンポンと、叩き合ってさよならしたものだったが………

 然し、明治生れの母の子供時代の歌だったとすると、此の歌のあかりは、電燈ではなく、ランプだったのかも知れない。

  私達が子供の頃とは、生活環境も随分と異っていたのだろうが、ねむの木の優しい感じと、子供 の帰りを待つ母の居る家の、温かいぬくもりを
ほのぼのと感じさせるその歌の文句に、あかりは、ランプであっても、電燈であっても、結び付くものは親と子、温かい家庭であるのだ、と、一人心にうなづきながら、東京で初めての子供を一心に育てて居るであろう長女にも、いつか折に触れて、話してみようと思ったものです。


くろかみ

くろかみは、母の黒髪
幼き日、急ぎ野良より
帰り来て、添え乳の時の
陽の匂い、みなぎりし、あの
若き母、母の匂いよ。

くろかみは、愛の黒髪
おくれ毛の 襟にこぼれて
うつむきさは お下げの人よ、
初恋の、今に呼びたい
ふる里の 空に続きて

くろかみは、妻の黒髪
川根茶の 残り香に似し
みどりなす、丈なす髪よ。
とこしえに、こよなきものと
此のみどり、吾子に伝えよ。



百舌よ

百舌よ
お前は知っているか
お前の事を この人間界では
百の舌と書いて
百舌! と読んでいるって事を‼︎

百舌よ
お前は知っているか
その昔、麦踏みをする私の背で、
無心に眠っていたあの長女が
此の秋にはもう 嫁に行くって事を‼︎

百舌よ
お前は知っているか
照るにつけ曇るにつけて
お前のおしゃべりを楽しみながら
野良働きする農婦が居るって事を!







これまでサポートくださった方、本当にありがとうございました!