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ぬくもりの森


これは2014年1月、akiさんと行った冬のぬくもりの森の話。

ぬくもりの森



akiさんについて書いた初めの記事はこちら。


オーストラリアに住むakiさんは、こちらへ帰る度に連絡を下さっていた。今は子育ても忙しく、何よりコロナの事があるので此方へ帰る事も出来ずにいて心配だ…。

水車むらもakiさんが見つけてくれたスポットだったけれど、ぬくもりの森もakiさんが見つけてくれた。
地元の観光情報を調べてないわけではなかったのに、全然こんな場所を知らなくて毎度驚く。

浜松駅からバスで40分程かかり、町外れのようなところへ着いた。降り立った場所は、一体こんなところにそんな場所があるのだろうかと不安になるほど何も無かった。コンビニが無いどころではない。

実際バス停から近かったんだけれど、バス停から眺めても看板などが見当たらず。
Googleマップで確認しながら、山の方へ入る道を見つけた。
ぬくもりの森に駐車場はあったが、道が狭くて車はすれ違えそうにないようなところだった。

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坂道を行くと、急に小さな村が出現する。ティムバートンの世界で急に異世界に入ってしまったような、そんな雰囲気。

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入り口を潜ると、まるで絵本の世界だった。
とても小さな敷地なので、尚更、隠されたドワーフの村みたいだった。

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当時はあまり見る所は多くなくて、すぐ見終わってしまったけど、サイトを見ると今は凄く充実しているよう。

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フクロウやチンチラやハリネズミのいる「ふくもり」
アフタヌーンティーが楽しめる「ぬくもりガレリア」
アクセサリー雑貨のお店やアロマのお店。
そして当時からあったケーキ屋とレストラン。
これなら一日楽しめそう…? いいなぁ。羨ましい。もう一回行きたくなってしまった。

料金はお高めかもしれないけれど、お支払いすれば撮影場所としても使えるようなので、ポトレやコスプレさんにもお勧めスポット。

当時は建物を一周見て、雑貨屋を見てケーキを食べて…というくらいで終わってしまったけれど、ケーキはとても美味しかったし、店員さんの雰囲気も穏やかで居心地の良い雰囲気だった。
少ないとはいえ建物はどれもとても可愛かったし、小さい事が却って秘密の場所めいて素敵だった。

天使か妖精か?と思うようなakiさんと一緒だったから、尚更すてきな記憶になっている。

ぬくもりの森は、ぬくもり工房の建築ということで、以前話題になっていた浜松の魔女の家が、このぬくもり工房の設計。


こちらは住宅なので見に行くわけには行かないけれど、こんな所に住める人が羨ましいね。

それから駅へ戻って駅ビルで食事を済ませ、夜はニューイヤーコンサートを聴いてきた。

これもakiさんのご提案で…というか企画力の無い引き篭もりなので、誰かとお会いする時は大体お相手発信で案内して頂くような形になってばかりで、甘えっぱなしのお世話になりっぱなしなんだよな。本当にすみません。一生幹事ができないタイプ。

コンサートは明るくて朗らかな新春らしい選曲と、演奏者さん達の温かい雰囲気で、楽しく過ごせた。とても親しみやすい空気だったな。

この日、akiさんがお母様と行かれたクリスマスマーケットのドイツ旅行のお話が聞けたりして嬉しかった。

たしかその時にakiさんにお話したような気がするけれど、
ドイツのクリスマスマーケットではクリストキントという幼い天使役の少女が応募の中から選ばれて、クリスマス期間は天使として扱われるという番組を見たことがある。

その番組で印象的だったのは、「天使は笑いすぎてはいけない。親しみやすくてはいけない」という事だった。微笑む程度にするよう指導を受けていた。たしかに、神聖というのは親しみやすさではないよね。


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余談だけれど、彼女はこのクリスマスマーケット旅行に自分を誘って下さっていた。
情けない事だけど本当に稼ぐ能力が無く、余裕のない人生なので海外に出た事もなく、かなり悩んだ末にお断りしてしまったのだけれど…
資金を持つからとまで仰って下さった彼女の想いにお応え出来なかった自分をずっと後悔している。

こんな内情を書くべきではないと思ったけれど、今になって敢えて書くのは、人との関係性は『常識的な基準』で測れるものではないということを、ここに書いておこうかなと思った。

常識的に考えれば、そんな申し出を断るのは当たり前だと皆答えると思う。自分も仮に今また同じ状況になったとして承諾するかというとやはりかなり悩む。

けれどそこまで言ってくれる人の想いを敢えて受け取らせて頂く事も、時には必要だったのかもしれないと思った。

彼女は今、もう子育てに忙しく、ご家族の事情もある。また此方も旅行などに行けるような心身を無くしてしまった。

状況は変わっていくし、その歳のその時のタイミングに二度目は無い。

もちろん気軽に誰かに奢って貰うものではないし、出して頂いたなら返せるよう努力しなければならないのは当然だけれど、想いの深さを推し量れる関係性なのであれば、敢えて甘えるのも信頼のひとつなのかもしれない。

あの時に行っていれば、きっと二度と無いような一生の思い出を作れたはずだ。それはもう、たとえその額を稼いだところで買えるものではないし、取り返せるものじゃない。

関係の深い相手とは、他人にどう思われるかや常識よりも、自分と相手との関係や考え方によく向き合って、自分達の答えを出していくべきなんだろう。
二度と帰らない時間の中で、なにを大切にするべきなのかは、ひとりひとりきっと違うと思うから。

そして、改めて今も出不精で消極的な自分と関係を繋いでくださっているakiさん、本当にありがとう。今も行けなかった事を残念に思っていると伝えてくれた事も。そういう事も含めて、遣り取り全部が自分にとって本当に大切な思い出と記憶であり、とても貴重な関係です。

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これまでサポートくださった方、本当にありがとうございました!