母と観た、あの日の映画
仕事帰りに新作のレイトショーを観に行くのが好きだった。
勤め先が繁華街の中心にあった頃は、よく一人でふらりと映画館を訪れたものだ。空いているし、曜日によっては安く観られるし、誰にも気を遣わず、そのとき観たいと思ったものを気まぐれに選んで座席のシートに背中を預ける。
月に二、三度のささやかな贅沢だった。
シネコンの数がどんどん増えて小さな映画館が廃業に追い込まれる以前は、生まれる前の古い映画なども観に行ったりした。ビデオやディスクをレンタルして自宅で観るより、映画館に出かけることが好きだった。あの特別な空間で観る没入感は他に代え難い。
もちろん、友人たちと連れ立って観に行く映画も嫌いなわけじゃない。
趣味嗜好が近しい間柄であれば、観終わった後に遠慮なく互いの感想を伝え合うことができる。すぐ家路につくのがもったいなくて、遅くまで開いている店を探して長々と話し込む時間のなんと楽しかったことか。
けれども、私は親とは映画の話をした記憶がほとんどない。
そもそも好きな映画やドラマの話もあまり耳にしたことがなかった。
私は子供の頃から芸人たちがやたらと大声で騒ぎながら誰かを殴ったり蹴ったりするバラエティ番組がとても苦手で、そういったものを観るより家でもドラマや映画を観る方がずっと好きだった。クラスメイトたちの話題にはまったくついていけなかったが、それでも別に構わなかった。
所謂ゴールデンタイムには家族みんなで食卓を囲みながら観ていたドラマもあるし、日曜洋画劇場だってたまには一緒に観ていたから、両親もドラマや映画が嫌いだったわけじゃないと思うのだが、特別感想を語り合った思い出はない。
弟だけは私の影響か、同じように本好き、映画好きになったけれど、親とはまったく趣味が合わないなぁと密かに思っていた。
それでも一度だけ、母親と一緒に映画館に行ったことがある。
私がまだ高校生の頃だ。
映画祭か何かだったかもしれない。小さな劇場での一日限定の公開だった気がする。
『ジェームズ・ディーンの名画三本立て一気上映』
そんな煽り文句の宣伝をたまたま目にした母が、観に行きたいと言い出したのだ。
「ジェームズ・ディーンって誰だっけ? 確かずいぶん昔に死んじゃった人だよね?」
当時の私の知識と関心はその程度だった。なにせ女子高生だから。
それでもめずらしく母から言い出した言葉に、これは千載一遇のチャンスと思った私は、映画館の場所や上映する日時を調べ、チケットを取り、当日母と一緒に出かけた。そして、すぐに後悔した。
とにかく上映時間が長かったのだ。
三作品は公開された順番通りに上映された。
まずは「エデンの東」、次に「理由なき反抗」、この二つまではまだ何とか持ちこたえることができた。エデンの東は115分、理由なき反抗は111分。どちらもほぼ2時間。でも二本続けて観るだけなら大丈夫。休憩もあるし。
早逝した名優と名作を生みだした監督には大変申し訳ないが、若かった私にはそれらはちょっと退屈で、内心密かに「長いなぁ」と思ってはいたけれど、それでもしっかり画面を見続けた。
問題は最後の一本、「ジャイアンツ」という映画だった。201分もあるのだ。これがトドメだった。
トータルでおよそ430分。7時間超え。
いや、我慢大会か。お尻が座席シートにめり込んで離れないかと思ったわ。しかも今のシネコンみたいな良い椅子じゃないから、腰も背中もバッキバキ。長時間座り続けるのが苦行すぎて、後半は肝心の映画の中身が全然入ってこなかった。
すごくせつないはずのラストシーンを観ても、おまえがアホなんじゃん、自業自得だろとしか思えず、ごめんよ共感できなくて。なにしろ私の腰とお尻がピンチだったのだ。きみの憂いを思いやるどころではなかった。
名画を観てそんな感想しか抱けなかった自分をやや恥じつつも、終わったときには正直ほっとした。そして劇場内の空気もわりとそんな雰囲気に包まれていたように思う。悲しいラストにすすり泣くというより、終わったね~と安堵する吐息。照明が点いてから隣の母親のようすを伺ったら、やっぱり同じくらい疲れていた。
どうしてこの映画を観たいと思ったの?
何か思い出でもあったの?
出かけるときはそんな話が訊けるかなと思っていたのだけれど、映画館を出るとき実際に出てきたのは、
「長かったねぇ」
万感込めた、この一言。
「うん、長かったねぇ」
返ってきたのも、この一言。
「お腹すいたぁ」
「そうだね」
頷き合いながら、私たちは家路を急いだ。
帰路の途中で交わしたのは映画の感想そのものより、腰が痛いとか足先が冷えたとか、休憩中にロビーで食べられる物を何か買えばよかったねとか、でもポップコーンしかなかったよとか、そんなことばかりだった。
それ以降も母と映画やドラマの話をした記憶はあまりない。
でも、あの日、ちらりと横目で伺ったスクリーンを真剣に見つめる横顔は、なぜかとても深く印象に残っている。
私にはあまり馴染みのないこの映画スターは、もしかすると若かりし頃の母の推しだったのだろうか。憧れの人だったりとか。
公開当時すごく話題になって観に行きたかったのに、それができなくて心残りだったりとかしたのかな。
暗い館内でスクリーンに映る青年を眺めながら、そんなことを考えたりしていた。
すごく当たり前のことなのに、まったく実感が湧かなくて、このときまではただの一度も考えたことがなったのだ。
私の母にも、当然、少女だった頃があったのだと。
外国の映画スターにときめいたり、初恋の人に気持ちを伝えられず悩んだり、女友達と恋バナに花を咲かせたり。そんなごく普通の青春が、きっとあったのだと。
その日、初めて、私は母を「自分の母親」というだけでなく「自分と同じ一人の女性」と認識した。
そういう思い出が残っている映画館での出来事である。
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