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小説詩集「その人は簡単に消えた」

私は雑木林の中の孤児院に住んでいる。蜂の巣のように仕切られた箱の中が私の寝室だ。
私はそこに2人で住んでいる。
死んでしまった叔母さんと一緒に住んでいるのだ。
死んでしまうまで、私は叔母さんに合わせてへつらって暮らしていた。でもいつも空回りだった。
叔母さんが死ぬ直前でさえ私はへまをやらかした。おばさんの食べられる美味しいものが作れなくて仕方なく自分でむしゃむしゃ食べた。それを奇異な目で叔母さんは見ていた。気持ちはあったけれど叔母さんを喜ばせられる何物もしてあげられなかった。気立てのいい子でない自分が恨めしかった。

ところが、私がこの孤児院に連れてこられてからというもの叔母さんはここにいる。
叔母さんの手にそっくりな人がやって来て、手に見とれていたらその人が助けてくれた。叔母さんそっくりの物言いをするひとがいるのでその声に耳を傾けていたら、その人も私の窮地を救ってくれた。叔母さんがすぐそばにいるのだと分かった。
確かに叔母さんの死について私は幾度となく反芻していた。なぜ突然消えてしまわなければならなかったのか、その原因を探った。同時進行的に、叔母さんはきっと私のことは好きでなかったろうとも推測した。最後に一緒にいるのが私でなく、他の誰かだったらと思っていたに違いない。

それでも叔母さんは遠い所へ旅立った後、再びここへ戻ってきた。
きっと神様の国で「私の係り」になるように命じられたのだと思う。だから苦しいとき私は祈る。「私を助けて、私もいつか魂に戻ったら必ず誰かを助けるから」と。すると叔母さんはそっと、袋にパンを入れておいてくれる。服を絶やさず与えてくれる。叔母さんが応えてくれているんだと明確にわかる。だからここでの生活はつらいけれど、以前よりずっと孤独ではない。

私に厳しかった院長がこの世を去った。
私にことさら厳しい人だった。ただ厳しのではなく、私の根底にある性質を憎んでいた。
だから、いつも私が「何かをしない」ことを酷く怒っていて、それをみんなにも公言していた。私は自発的に何かをできるのにしていなかったわけではなく、何をすべきか知らなかったのだ。たとえ促されてもその手段が分からなかった。
私が嫌だったのは、私に対する不満が間接的に届くことだった。院長の気に入るように改善されないことがさらに怒りの種となって尽きることがなかった。

その人が身まかった時、私はその人の名を呼び続けた。そうすることが生きている者の務めだと思っていたから。すると、「もういいんだよ、行かせておやり」とシスターが言った。
シスターたちは院長の権威をいつも私に言い聞かせ、感謝を促していたので驚いた。命への粘っこさがなかった。
埋葬される前に、院長のものはすべて捨てられた。シスターたちは埋葬されるのを待っているのだと分かった。孤児たちはこぞって葬儀を手伝った。そのことで居場所の確保が保証されるかのように。

埋葬されて人々がホッとしているのが分かった。
私は気づいた。もう孤児院の中に院長はいない。とても簡単だった。我々は思い出す必要もないのだった。

私は安らかな気持ちでいる。死がこんなにも簡単なものなのだと分かったから。今がとても厳しい。それに耐えるんだ。あるいは行進してゆくんだ。私には遠い神の国から遣わされた者がいて、その人が時々奇跡を見せてくるのだから。
少し笑って楽しんで、そうして長い曇天続きを過ごしたとしても、あとはもう終わるだけ。いとも簡単なこと。ただこれだけは強く思う。そのあと必ず誰かを助ける。全身全霊で助けると。

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