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小説詩集「ナミと男」

男はひとり砂浜で、波が寄せては返すのをただ見ていた。男は力なく背を丸め、タバコの箱を取り出すのさえ忘れていた。
波は、規則性をわずかに乱しながら繰り返しやってくる。
男はしばらくそれを見守っていたが、潮騒の中にかすかに、悲鳴とすすり泣きを聞いてハッとした。
目を凝らすと、白い小さなナミが声を上げながら後ずさりしてゆくのが見えた。
「おい、なんで泣いてるんだ?」
男は白いナミに聞いてやった。
「みんなと足並みが合わないからなの。だって、さっきまで誰も沖に戻るなんて言ってなかったのよ」
ナミがべそをかきながら答えた。
「みんなと手を繋いでいるのに分からなかったのか?」
「そうよ、だって・・・わぁーもう沖に戻らなくっちゃ・・・」
ナミは他の波に引きずられるように後ずさって行った。
それを見送ると、男はタバコの箱を取り出した。タバコの先が蛍のようにいきづいて男は白い煙を吐き出す。

沖から勢いをつけながら波達がにわかにはしゃいでこちらへ駆けてくる。男の足もとまで白いあぶくを作りながら押し寄せてくる。
そうして、あの小さなナミが泡を飛ばしながら続きを話し出す。
「だってね、みんなは私が出ようとすると留まるの。それで私も留まると、今度はいっせいに走り出す」
「どうしてだい?」
男はもう体に力も残っていなかったけれど声をかけてやる。
「だって、みんなは、みんなが走り始めないと走らないからなのよ。私が走り始めても一歩も動かない。それで驚いて元の場所に引き返し始めると、いっせいに出発するの」
ナミはひどく困っているようだった。
「おまえも、みんなを見ながら走り出したらいいさ」
「でも風のせんせいがさ、「さあ、みんなスタートするんだよ」って号令をかけるのよ。それで私は先生の言う通り慌てて駆け出すの。その時・・・・」
話しの途中でナミは沖へと後ずさって行ってしまった。

男はゆっくり煙を吸い込んで、遠い水平線をぼんやりと眺めた。
自然と涙があふれでた。幼い時のゴールを目指した運動会がまざまざと脳裏に蘇った。あの頃、一等賞になろうと夢見て走りはじめたのだった。せめて二番手、三番手にはなれると思っていたのだ。男は足がひんやりと濡れるのを感じて我に返った。ひたひたと小ナミが足を浸していた。
「それでね・・・」
小ナミは息を切らしながら話始めた。
「・・・それで、そんな時、みんなは号令よりも誰かが徐々に飛び出すのを合図に走り始めるの。私は、出なければならないその時にで出るのが本当のような気がして飛びだすものだから、誰とも一緒になれないのよ。あら、あなた泣いているの?どうして・・・」
ナミは驚いた顔のまま、再び波達に引きずられて沖へ戻って行った。

男は濡れたまつ毛をぬぐってもう一本タバコを取り出す。しかし箱に戻す。もう何も好きじゃないし、楽しくなかった。
小ナミは今度も一番乗りで男の足もとまでやってきた。
「ねえ、どうして泣くの?」
「俺があまりにも醜くなったからさ」
「どうして?」
「昔ウソをついたんだ。ウソをつくために俺の顔や体にビスを打ち込んだんだ。ウソがばれないようにな。ウソはウソをよぶ。俺は真実を隠すため次から次へとビスやワイヤー、その他俺をわずかでも隠すものを顔中、体中に張り巡らせたのさ。気が付いた時には、俺は醜いモンスターになっていたんだ。もう、まともに口をきくことも出来ない。ビスやワイヤー代わりに這わせたバネのせいで体は震えだす始末だ」
「どうしてウソをついたの・・・ああ、もう戻らなくっちゃ・・・」
ナミは手を引かれるように沖へ去って行った。

男は小ナミが戻ってくるのが待ち遠しかった。小ナミなら飽くことなく自分の話を聞いてくれるような気がしたのだ。
そうして、やはり小ナミは急ぎ足で戻ってきた。
「俺を殺すためさ。俺を殺して、別の俺になり変わるためさ」
「どうして変わらなきゃならなかったの?」
「俺自身を生かすためさ。あの水平線のテープを一等賞で駆け抜けるためにはウソが必要だったんだ。あの頃は、ただ純粋に一生懸命なだけだったんだ。だのにどうして俺はこんな姿になってしまったんだ」
ナミは困ったような顔をした。
「それは、たぶん人をひとり殺してしまったからだよ。人殺しはいけないよ」
「じゃあ、俺はいったいどうすればいいんだ」
「償うんだよ。残りの一生をかけて償うんだ。死んだ者がどんなに大切でかけがえのないものだったかを思い出してやるんだよ」
ナミはそう言って男をじっと見据えた。
「つらすぎる」
男はうめいた。
「つらいことだよ。でも償わなきゃ」
ナミはそう言って悲しそうに後ずさって行った。その直後ナミは気まぐれな天の光線に照らされて昇天していった。

気が付くと男は砂をはう蟹となっていた。時に波に洗われ、時に砂に身を隠し、時に小ナミのことを思い出しながら泡をふき、小ナミが戻ってくるのを待ちわびた。人殺しを償うつらさは小ナミを思うつらさゆえにわずかに薄らいだ。月明りだけがすべてを知っていて寂しく苦しみを照らし続けた。

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