小説詩集「7パーセントの生活」

殻をかぶった落花生のような姿で、もちろんこちらがそう認識しているというだけで、通りすがりの人たちには全く同属のように見える私だけど、心の中では、風に吹かれ日にさらされながらも遠く離れた人たちと語り合う自分を幸せに思う。

事務室のドアを開けると優し人や、優しいけれど人をしごいて鍛える特典付きの人、素朴だけれど私の考えが重すぎる人がいて、その人たちとそっと殻を破って覗かせた姿のままで話していると、自分がピーナッツお化けのように見えてくるので、口を閉ざして裂け目を修復した。

人の話を、心を閉ざすのではなくあくまでも笑顔で素通りする。けれど非礼のないようにばかり心を砕いていると、気分次第でがつがつと鍛え試されるので、鉄の防御は欠かしてはいけない。
それは単なる防御で、帰る道々、風の中に記憶と思考が行き交う楽しみを阻害されないためだ。

お疲れさまでした。さようなら。なんて緑の葉が光を揺らしたら、外の空気が陽をはらんだ。
朝来た道を同じようにデイジー・ミラーでなぞってみる。
デイジー・ミラーに振り回されて酔いそうになったけれど見るのを止めないでよかった。
間一髪だったな。
デイジー、あなたの唐突な悲報に世界は一変してしまった。異質な者のお話だったんだね。存在が閉じられ、全貌が開かれる。人によっては恋愛小説だけどね。

子供の頃、家の壁に「スイスのシオン城」って書かれた写真がはってあった。湖水際すれすれなのが不思議な城だった。
シオン城にまつわるお話を作ったこともあったっけ。あれはデイジー・ミラーの予告編だったんだ。って思ったとたんヘンリー・ジェイムスの、アメリカ人としての不安定さがフィルムのようにぺらりとはがれて、首をかしげる雰囲気で私の前に張り付いた。
ああ、150年以上も前のあなたにも異質な者への驚きと、あるいは自分の生活の方が異質なのかもしれないという不安をジャッジする葛藤があったのだね。
今日はぜひともデイジー・ミラーの論文をどこかに探し当てよう。

道端をほうきで掃き清めるな少年少女たちの姿をみてハッとした。
その純粋さにある少年たちを思い出す。彼らは記憶をとどめることの出来ない人たちで、心配性なお母さんに叱られている子もいたっけ。
寮の一室で記憶をなくした少年のなくしものを、記憶力のないみんなが一緒に探していたっけ。彼らの記憶が、すっかり私の中に住み着いて、母のことを思い出すより頻繁に私の心に蘇る
もう一つの記憶、空き地で風に吹かれて座っていたネルシャツの少年も。早世した老成の軽やかさが、私の中にずっととどまっている。名も知らぬ人たちが私の中で生きていて死なない。ずっと生きている。

私は思考することが仕事だと思っている。一番いいことは寛容なことだと思っている。誰も傷つかず、美しいものを、優し目で見ていたい。だから寛容が三つの映画を結び付けた。

1916年の「イントレランス」1955年の「狩人の夜」1973年の「北の帝王」
寛容、そして重罪と軽罪。重罪を犯す人たちが、非難にふるえて軽罪を許さない。許さない人たちは作品を理解しない。不評に押しつぶされグリフィス、ロートン二人の監督は作るのをやめてしまった。もっと映画を残してほしかった。だから、宝のような映画を何度も繰り返し味わう。

日曜日「花様年華」を何度でも見る。分からないことが多すぎて、わかってくることが多すぎて、作品は発見され続ける。

事務室のドアを開けると、今日もいろんなことが待っている。それが人のためになることなんだって訪ねてきた叔父さんが言っていたけれど、私はこう思っている。
神の付けてくれた名をかたれぬ時間は無為に過ぎる不毛の地。だからひっそりとフワフワの落花生のからの中で言葉と言葉、思索と思索をむすぶ。発見がさらに扉を開ける。

麻袋の中にお豆があふれんばかり。その中に7パーセントの落花生が眠っている。殻のわずかな隙間から覗いてみると、お豆が夢心地で思索している。自由闊達な金色の糸を手に「あの作品とこの作品」「あの人の言葉とこの言葉」なんて言いながら空を飛ぶように駆けている。

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