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小説詩集「秋の日の振り子」

駐車場に車を止めてドアを開けると、枯れ葉が風に舞い上がって座席に押し寄せた。「これがお金だったらね」私はつぶやいた。ドアをロックして歩きだすと午後の日差しが褐色の光線となって私を刺した。
買い物が終わると余計な食材を買いすぎたことに気が咎めた。店のドアが開くと外の風はなおも強くなっていて、髪の毛が顔に張り付いてなびいた。それでも目を細めて前進しなければならない。
お金がないってつらこと。借金は減らないのに、使う方は容赦なく増える。しかも実入りがよくなる当てもないなんて。

初めのうちはこんな生活もすぐに終わるのだろうと思っていた。だから生活を変えずに無理にでも頑張っていた。けれど、ひっ迫が恒常的な日常になるのだと分かってくると生活は一変した。もう余計な出費は出来なかったし、壊れたものさえ修理できなくなった。

二重の行き違う螺旋階段を下りてゆくように、ほかの人たちが楽しそうに上ってゆく。それは永遠に交わることのない不思議な図式。

ときどき、宇宙の中にぽっかり浮かんだ白い階段が見えて、延々と続く手すりに人差し指をそっと当てながらぼんやりと上ってゆく白昼夢を見る。体は軽々としている。行き詰まりにバーストしそうな心でも、それを何とか保つ方法を不思議とからだは知っている。

一瞬風がないだ。
頭に浮かんだのは、苦しみの清算が今、目の前でなされる幸運の瞬間。白昼夢のような想像。清算の代償として穏やかで声一つ荒げたことのない夫がもう一つの秘密の生活を持っていると発覚する。これを機に彼はその女性のもとへ去るという。私は疲れている。もう疲れ果てているので「いいわそれで。チャラになって重荷がなくなるなら、今後一生ひとりで生きていきます」と受け入れる。何度想像してみても私は案外平気で晴れ晴れとしていた。
実際にはありえないひと時の空想。でも重荷から解放される爽快感はリアルで忘れ難かった。

その夜私は夢をみた。
川が前途に横たわっていた。
私は溺れるのも恐れず水を分けて進んだ。思いの外浅かったけれど、夫はどこにもいなかった。
いつも良くしてくれる知り合いがひとり、向こう岸に立っていた。「どこに行く気だい?」男が手をふっている。怪しい感じに胸が悪くなる。それで走って逃げて、ある一軒家に飛び込んだ。そこは他人の家で、その他人の家族の中に夫が団欒している。夫は振り返ると悪びれる様子もなく微笑んだ。むなしい辛さがこみ上げて絶望に世界が止まる。私は深い深い底なし沼へと沈んでいく。
向こう岸の男が泥の淵で叫んだ。「昨日まで俺は目標を達成することを夢見ていた。ところがどうだ、今日は幸せの代償に失った何かを求めて川べりを彷徨うんだ」

目が覚めて、私は私の白昼夢をひとつ残らず見ている誰かがいることに気づいた。

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