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小説詩集「竹のように」

今日ほど竹のように生まれたかったと思ったことはなかった。
新しく始めたばかりの仕事なのに、じっくり考える隙間もないほど人間の世界がきっちりと電子基板のようにできていて、そこで右と左をたくみにつなぐかわいい女の子たちが男の子たちと話している。
その子たちの生まれは竹の子で、生まれた時と同じように正確に節くれだって生きている。節と節との間が少し伸びはしたけれど、生まれた時のようにすっきりと明快な生命を帯びている。だから、職場の四角い箱の中で一から十まで絵にかいたようになめらかに振る舞う。

グワッと竹が土から角を出した同じとき、私は柔らかくて頼りない頭を種の皮つきでもたげた。生命力はそれなりにあったとおもう。けれど竹は生まれた時から竹だったから竹のように磨きをかけて生きてくればよかったけれど、私の場合はあまりにも本来の形が曖昧だった。だから何に成長すればいいのか分からなかった。私はぼんやり考えあぐねた。

母さんがね、困ったらしい。竹の子とあまりにも違うから。病院に私を連れてって本当は竹の子じゃないのでは?と検査した。
「特に異常はありませんな」
検査した先生は答えた。そもそも竹の子じゃないということを証明する検査方法も確立していなかったのだし、先生からしたら竹の子じゃないとしても竹の子に治すことなど出来ない話なのだ。だって、医者は治療する人であって創造する人じゃないのだから。
母さんは承服できなかったけれど引き下がった。

大人になってもまだ竹の子になれていなかったけれど、努力が足りないからなのだと思いつつ、竹の子風の顔をしながら仕事を探した。
もう大人になってしまったのに、竹林の世界から私はまだ抜け出していない。ぐにゅぐにゅとした幹が相変わらず竹林の迷惑になっている

あの時、と私は思う。グワッと生まれたところが竹林でなかったらと。
あの時、と私は思う。母さんが竹の子がスタンダードなのだと思っていなかったらと。
あの時、と私は思う。大人になって竹の子に魂を売らず、ぐにゅぐにゅを生きることにすべてをささげていたらと。

何もかもが間違っていたのだけれど仕方ない、と私は折り合いをつける。
胸を締め付けられながら、それでも前を向く。すべてが私のせいなのかと嘆きつつ、けれどたった一つ確かな過失はあったのだと思い着く。信じ切れていなかった。ぐにゅぐにゅ種の自分でいいのだというその一点に忠実でなかった。ハタと気付く、それこそが信仰ってものでは。
だから、これまでにどれほど竹の子さんたちにご迷惑をかけていようと、またこれからもご迷惑をかけてしまおうと、ただ一心に存在の確かさだけを信じて自分だけを生きる。それが私の一日をメーキャップして一生が形作られていく。そうすれば私が何者であるのかなんて、もうどうでもいことになるんだ。

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