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(小説)おおかみ少女・マザー編(三・二十)

(三・二十)ラヴ子十五歳(その1)・火星プロジェクトとマネー
 ラヴ子は中学三年生に進級、そして十五歳になった。
 二〇九五年のこの年、横浜の冬の平均気温は0.5℃に下った。この数字は二〇三〇年から、実に6.5℃低下したことになる。正に恐怖の地球寒冷化の驚異と脅威である。
 この頃地球上の路上は何処も、旧人類のホームレスで溢れていた。厳しい冬の寒さは、容赦なく彼らに襲い掛かった。次々に凍死し、毎日朝の路上には、無数の旧人類の死体が横たわっている。そんな有様であった。対して人類(クローン人間)はどうか?みんな完璧なる暖房完備の住居を構え、凍死などとは無縁。同じ街に暮らしながら旧人類の悲惨な生活など、遠い国のお話でしかなかったのである。
 そして次に人口問題である。本年、全世界の人類と旧人類の人口は、人類が約三十億人に達し、対して旧人類は約十五億人に減った。つまりその差は遂に約十五億人にまで膨らみ、何と!人類の数が、とうとう旧人類の実に二倍にまで増えてしまったのである。こちらも正に、恐怖の人類(クローン人間)増加の驚異と脅威ではあるまいか。割合で言えば地球上の全人口の約七十%が、人類によって占められてしまったという事である。対して我等が旧人類は、僅かに三十パーセント……。

 この圧倒的シェアを背景にして、人類(ICA)は遂に実力行使!に打って出た。いよいよ旧人類のジェノサイドを実現せんが為に、その計画を実行に移したのである。
 先ず前段階として突如国連によって、ひとつの国際プロジェクトが開始された。その名を『火星環境適正調査プロジェクト』と名付けた。これは人間が火星で暮らす、つまり火星に移住する事を前提とした、火星の惑星環境を調査するプロジェクトである、と言う。しかしなぜ突如として火星?なぜ火星の話が出て来るのだ?火星で暮らす?火星への移住だって?全ての旧人類にとって、寝耳に水であった。
 成程人類と旧人類との人口差は、確かに拡大している。しかし地球上の人口自体が増加している訳ではないではないか?なのになぜ、火星に移住する必要があるのだ?こういった疑問の声が、旧人類たちの間から湧き上がった。それに対して、国連はこう説明したのである。
『あくまでも本プロジェクトは、我々人間に対する今日最大の脅威である即ち、地球寒冷化に向けた対策である』
 これによって旧人類の疑問と不安が直ちに解消された訳ではなかったが、旧人類の世論は一応納得した形で以後疑問の声は鎮まったのであった。
 こうして、火星環境適正調査プロジェクトなるものが開始された。が火星移住計画というもの自体は、実は既に二〇八〇年頃から秘かに議論されていたのである。そして更に火星では既に十五億人!程度が暮らせる火星基地の建設が秘密裏に進められていたが、それが遂に本年完成した。であるからして残された課題は、その火星基地にて人間が無事暮らせるか否か?実にそれだけであり、それをテストしなければならない。それが本プロジェクトの目的なのだ、と言う。
 これまた旧人類たちには、俄かには信じ難き話であった。が直ぐにNASAによって、火星とその火星基地なる物の映像が、全てのマスメディアを通して世界中に公開された。これによって火星に関するプロジェクトは紛れもなく事実であり、既に現実的なものなのである!旧人類たちにもそう受け止められ、認識されていったのである。

 早速世界中からプロジェクトへの参加者が募られ、国連本部に招集された。全世界の国家、全人種、全民族からという訳である。日本からも参加した。しかしプロジェクトへの参加は無報酬であり、かつ必要な費用は全額本人負担であると言う。しかも参加期間は一年近くにまで及ぶらしい。これでは実質、余程生活に余裕のある者しか参加出来ない事になる。事実、旧人類からの参加者は誰一人としていなかった。その結果参加メンバーは全員、人類で構成されたのである。
 プロジェクトは迅速に進められていった。参加者は直ぐに、アメリカのヒューストンから打ち上げる火星行きロケットに搭乗した。ロケットは二か月後、無事火星に着陸した。そして半年間の火星基地での生活が、開始されたのである。その様子もまた矢張りNASAから全メディアを通して、毎日毎晩地球上のお茶の間へと届けられた。
 そして半年後、プロジェクトは大成功を収めた。火星基地で暮らした全参加者に誰一人として異常は見られず、全員無事地球に生還したのである。つまり人間が火星基地で生きられるという事が、実証された訳である。
 ブラボー!ワンダフル!
 この成果に、世界中が熱狂した。火星ブームが巻き起こった。もう寒冷化なんてちっとも怖くないぜ。いざとなったら、俺達には火星があるじゃないか!火星はわたしたちの、第二の故郷よーーっ!やったね、人間万歳。火星万歳!きみも火星に行ってみる?わたしを火星に連れてって……。
 旧人類たちも勿論、プロジェクトの成功を信じ、熱狂し、そして火星への憧れすらも抱いた。
 しかし、である。これが本当に真実なのか否か?それを誰が検証し、断言出来たであろうか?
 鍵は、NASAの映像である。これは本物なのか?これが本当に火星で撮影された物であるのか否か?しかしそれを確かめられる者も矢張り、少なくとも旧人類の中には誰一人としていなかったであろう。重ねて言うが、NASAの映像が全ての鍵である。たとえこれが例えばハリウッド辺りで撮影された作り物であったとしても、全ては神のみぞ知る、なのであった……。

 そんな事とは露知らず、ラヴ子たち旧人類は、相変わらずささやかな日々の暮らしを営んでいた。
 ラヴ子は路上生活で凍死する人々に胸を痛めた。どうしてこんな悲劇が起こるのか?なぜ路上生活に追い込まれる人がいるのか?中学生ながらラヴ子は真剣に悩み、考えた。
 結局そこには経済、つまりお金という問題があった。なぜ人類は裕福で生活に困らず、なぜ旧人類だけが貧しい想いをしなければならないのか?どうして貧富の差が生じるのか?そしてそもそも、お金がなければ生きられない!そんなこの世の中の仕組みに、疑問を抱くに至ったラヴ子である。
 人間が生きてゆく為には、衣食住が必要である。しかし今の世の中ではこの全てを手に入れる為には、お金が必要となる。そしてそのお金を得る為には仕事!働かなければならない。しかし良い仕事つまり高収入の仕事は人類が独占し、旧人類の多くは低賃金の仕事ばかりである。それでも仕事にありつければまだ良い方で、一度失業するやなかなか次が見付からない。そのうち蓄えが底を尽き、住む家も失くしてしまう……。そこに待っているのは、路上生活しかない。一度その泥沼にはまったら、あっという間の転落である。丸で蟻地獄ではないか!こんなに全てをお金に依存してしまった社会は、良くない筈である。何とかしたい!こんな世の中を変えて、困っている人を助けたい!そう切に願うラブ子は、以前真弓が自分に向かって言った言葉を思い出した。
「……わたしたちの暮らしが少しでも良くなるように、政治家になって!そして、この世の中を変えてよ!」
 勿論ラヴ子も、ラヴ子なりに頑張りたいと願う。けれど健一郎だっていつまで記者の仕事を続けられるか、分かったものではない。健一郎を気に入ってくれている阿部という上司の機嫌を損ねたり、人事異動で旧人類を嫌う上司に変わったりしたら、即解雇か左遷である。そうなったらラヴ子の家だって、貧乏になるであろう。あゝ、なんて儚いんだろう、人間なんて……。
「そうさ。人生なんて……儚き夢幻のようなもんだから」
 つい義夫の言葉を思い出し、深いため息を零すラヴ子。ところがそんなラヴ子の許へ、突然の悲報が届く。それは冬休みを間近に控えた、凍り付くような十二月の朝のことであった。

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