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(小説)おおかみ少女・マザー編(三・十九)

(三・十九)ラヴ子十四歳(その3)・ラヴ子をラヴホに連れてって!
 そして斉藤ゆきに『ラヴ子』と呼んで!そう頼まれた人物が、もうひとりいた。三上義夫である。そして以後会う度に、ラヴ子は必ず義夫に懇願するようになった。
「ねえ、義夫さーん。ラヴ子を、ラヴホに連れてって!」
「だから、だーめ!」
「どうして?ラヴ子まじで、どうしても行きたいの、ラヴホ。お願い」
 合掌して哀願するラヴ子に、けれど義夫は苦笑いするしかなかった。
「だーから。何回頼まれても、こればっかりはだめだって!だってきみはまだ、中学生なんだよ。そんなとこ連れてったら、捕まっちゃうよ俺!」
「分かってる。分かってます、義夫さん。でもどうしても行きたいの、ラヴ子。あゝ行きたい、行きたい、行きたいので御座います、ラヴホヘ……」
 ところで義夫は、ラヴホに連れてゆく事に限らず、自身の欲求をいつもセーブしていた。何しろ相手はまだ十四歳の少女なのだから、下手な手出しは出来ない。男女の関係に至るなど以ての外。キスすらまだ、交わしていなかった。キス位なら、人目を避ければいいんじゃない?なんて思うのだが、義夫は慎重だった。それ程彼は、ラヴ子を大切に想っていたのである。
 それにいざキラキラ天然美少女のラヴ子を目の前にすると、どうしても怖気付いてしまうのであった。何と言うか、普通の子には無い冒し難き品位とでも言うのか?そういうものが有って、神々しくてならなかったからである。丸で天使か女神か、天照大神様……。そういう訳で人気のない場所ですら、手を握るのがやっと。そんな義夫とラヴ子、でも心と心はいつもひとつのふたりであった。
「じゃ、いつになったら、連れてってくれる?」
「うーーん、最低でも十八。高校卒業してからだね」
「十八!そんなに待ってらんないよう、ラヴ子」
「それとその日まで俺のこと飽きずに、付き合ってくれていたら……。これからもずっと」
「それなら、大丈夫。飽きる訳、ないもん!」
 そう答えつつも、ふと不安がよぎるラヴ子であった。これからもずっと、かあ……。それは漠然とした、言い知れぬ不安。しかし恋するふたりの心が離れてしまうとか、愛は冷め、この恋もいつか終焉を迎えてしまうのではないか?そんな不安ではない。そうではなくて、もっと大きな、ふたりの将来どころか自分たち旧人類を待ち受ける、悲観的未来への不安と不吉なる予感に他ならなかった。
 必死にそれを振り払うように、ラヴ子は元気に笑い返した。
「ラヴ子なら、大丈夫だよ。義夫さんに嫌だって言われるまで、何処までも付いていきまーす!」

 義夫の仕事は土日は休めない。従ってふたりがデートするのは、義夫が休みの平日かつラヴ子の放課後だけ。会えない時間の、その長さの切なさ、いとしさよ。ラヴ子は義夫と付き合っていることを、健一郎と秋江にはまだ教えていなかった。唯一ふたりの関係を知っているのは、真弓だけである。
 ラヴ子の放課後、ミナトミライにある遊園地コスモワールドのカルーセルの前で待ち合わせ。それから波止場や海岸通、大桟橋を歩き、黄昏から夜へと移り変わる間際の海を眺め、港へと打ち寄せる波音に耳を傾けながら、ふたりの時を過ごした。人前では手もつながなかったから、知らない人が見たら、歳の離れた兄妹としか思えなかったであろう。
「あと四年かあ……」
「何が?」
「だから、わたしが一八になるまで」
「うん。でもあっという間だよ、四年なんて」
「そうかなあ?」
「そうさ。人生なんて……儚き夢幻のようなもんだから」
「えっ?」
 黄昏の海を見つめながら、ふっとため息を吐く義夫の横顔を、ラヴ子はじっと見つめずにはいられなかった。その戸惑いに満ちた少女の瞳に、港に点り出したハーバーライトの灯りが映る。人生なんて、儚い夢幻かあ……。ラヴ子は義夫の言葉を、繰り返し胸の中で呟いた。義夫さんだって、まだ若いのに……。
 もうあと僅かで横浜の街に夜の帳が降りて、海も港も薄暗くなる。義夫とラヴ子のお別れタイムである。ラヴ子はこの瞬間が、一番辛かった。もっと義夫さんと一緒にいたい、ずっとふたりで夜の海を見ていたい……。
 希望する記者になれずコンビニで働く義夫は、時として投げやりだったり自暴自棄的な言葉を、ラヴ子にも零した。天使のような、女神のようなラヴ子に甘えていたのかも知れない。しかし義夫に限ったことではない。旧人類の若者たちの多くが自らの夢に敗れ、不本意ながらただ日々の暮らしを支える為だけに、単純労働に甘んじていた。
 ラヴ子はそういった点も含めて、義夫のことが好きだった。人間としての弱さ、彼も口にした儚さ、そして絶望……。それでもみんな、明日を夢見ずにはいられない。それでも生きることを、夢見ることを、止めることは出来ない……。人間たちの何という哀愁、そのひたむきさ、いとしさ、健気さよ!
 ラヴ子はそれを、義夫と真弓から学んだ。人々のささやかな暮らし、人生、営みへと、そしてやさしき眼差しを向ける心とその眼差しとを、少女ラヴ子は既に十五歳を前にして持つに至ったのである。年令と共に人はかなしみと苦悩に打ちのめされ、夢と希望を失ってゆくものである。が、ラヴ子は逆に純粋さを失わず、むしろその輝きは増してゆくばかりなのであった。

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