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(小説)おおかみ少女・マザー編(三・七)

(三・七)ラヴ子十歳(その4)・祖父倒れる
 ゆきの大好きなおじいちゃん保雄が、倒れた。自宅でのことである。保雄は医者や病院というものが一切嫌いで、いつも拒んでいた。しかし今日は意識が無かった為、秋江は迷わず救急車を呼んだ。
 保雄が意識を取り戻した時、診察は既に終わり病状は判明していた。脳と心臓に異常は見られなかったが、胃と腸に癌が見つかった。かなり進行しており、最早助かる見込みはないと言う……。余命は、もって後二、三ヶ月という所であった。
「おやじ、癌だって……」
 病院のベッドで横になる保雄に向かって、健一郎はそれは深刻そうな顔で告知した。ところが当の本人は、あっけらかんとしたものである。
「ま、そんなもんだろ。薄々感じちゃいたさ、自分の体だからな。いよいよ俺にもお迎えが来た、って訳だ」
「お父さん、そんな……」
 健一郎、秋江、そしてゆきがベッドを囲んでいる。
「どうした、みんな?ゆきまでそんな、時化た顔して!人間みんな、いつかは死ぬんだよ」
「それはそうだけど、お父さん」
「おじいちゃん、死んじゃうの?」
「ゆき、済まねえな。どうやら神戸行きは、無理っぽい」
「そんなこと、いいよ。おじいちゃんの方が大事。また元気になったら、行こ?」
 顔を覗き込むゆきの頭を、保雄がぽんぽんと撫でる。
「そうだな、また元気になったらな。ありがとう、ゆき」
 微笑み合う保雄とゆき。そんなふたりを横目に、健一郎が重い口を開く。
「秋江、ゆきと外で待っててくれないか」
「分かったわ……」
 保雄とふたり切りになった病室で、相変わらず深刻な顔の健一郎が切り出した。
「どうする、おやじ?」
「どうするって?」
「だから治療のことだよ、癌の治療」
「あゝ俺はいいよ、そんなもん」
「そんなもん、て……」
「もう手遅れなんだろ?だったら今更、変なこた、したくねえ」
「でも抗癌剤とか、放射線治療とか、遺伝子治療とかさ」
「はあ?いいから、いいから。そんなもんしたって、副作用で苦しむばっか。何にもしねえで、寿命を全うするのが一番一番!大体よ、これから先長生きしたって、良いこたねえ。どんどん寒くなるし、クローンの連中にゃ、好き勝手やられるし。な、そうだろ健ちゃん?」
「おやじ……」
 何も言い返せず、健一郎は口をつぐむばかりであった。
 こうして保雄は退院し、自宅療養に専念した。と言っても特別何かをする訳ではない。食事療法と、後は安静にしているだけ。

 食欲も徐々に減り、それに比例して痩せていった。見た目は衰弱しているように思えたが、意外にも本人はいたって好調。
「俺のことなんかいいから、自分らの心配をしな。おまえたちの世代はまだいいとしても、俺はゆきのことが一番心配なんだよ」
「わたしたちだって、同じ気持ちですよ。お父さん……」
 秋江だって健一郎だってゆきの未来については、悲観的に成らざるを得ない。二二世紀の始まり、つまり二一〇〇年、ゆきは二十歳である。その年ですら既に地球上の全人口の七十%以上が、人類によって占められてしまうのであるから。
「大丈夫だよ、ゆきなら!いつ、どんな時も、力強く生きていくから」
 しかしゆきは健気にも彼らの不安を、元気に笑い飛ばしてみせるのであった。

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