読まれるnote 2024/07/03
先週気合を入れて書いた「国立歴史民俗博物館」の訪問レポnoteが、思っていた以上に読まれなかった。ビュー数が欲しくてnoteを始めたわけじゃないが、どうせだったらたくさんの人に読まれたいという顕示欲はある。
一ヶ月投稿し続けて、一番反応が良かったのが『天才のいう「楽しんでいこう」』という記事。前日の夜に見たツイートから考えたことを、昼休みの20分くらいでささっと文章化しただけの、かなり手抜きの文章だったんだけどなー。多分、タイトルが「お?」と思わせる刺激的なものだったのが良かったんだろう。
自分が一ヶ月、特に決まったテーマのない雑多な日記を書き続けたのは、憧れているエッセイストを真似していた節がある。彼らがノンジャンルな文章を書いても読まれるのは、彼の文章は面白い、って信用してもらえているからだろう。インターネットには山ほど面白い文章があるのに、私のようにまだ何にも知られていない人の、ノンジャンル謎文章を読んでくれる方はそういない(もし今、自分の日記を読んでくれている方がいたらスイマセン。本当にありがとうございます。)
もっと読まれたい、と思うなら、せめてタイトルやサムネイルを工夫すべきなんだろう。
恥ずかしながら、小手先のテクニックに頼らずとも、好きに自分の文章を書き続けていれば、いつか沢山の人に読んでもらえるなんて思い過ごしをしていたこともありました。現実はそう甘くない。多くのプロ、人気のあるライターは、読者が何を求めているかをよく研究し、それに合わせたモノを書いている。まれにそうではないものづくりを続けて成功している方はいるが、それはごくわずか。一握りの天才だけだ。
【悲報】〇〇が大変なことに【大惨事】
みたいなよくあるYoutubeのタイトルは、Youtuberが長年の研究で見つけた、視聴者が無意識に求めているものなんだろうな。今、こういうタイトルをつけて成功している後発のYoutuberは、「自分なりのウケるタイトル/サムネ」を見つけようとしていたんだろうか?プロになるっていうのは、自分は特別ではないと認め、先人達が見つけたノウハウを受け入れられるようになることなのかもしれない。
未だに「パンツ」って聞くと、下着のパンツを真っ先に連想してしまい、ちょっと恥ずかしくなる。人生で、ファッションに興味を持ったことがないせい。興味のないことにはとことん無知になれるんだなー人間って。
郷ひろみの歌「2億4千万の瞳」に出てくる歌詞、「出会いは億千万の胸騒ぎ」。億千万の単位って何だろう?ってふと思った。仮に通貨の単位だとしたら、聞く国によって随分印象が変わりそうだ。「億千万円の胸騒ぎ」は大豪邸が買えるくらいの大騒ぎ、「億千万ジンバブエドルの胸騒ぎ」はおおよそ日本円で2000円くらいらしい。ちょっと贅沢したい日のランチ程度の胸騒ぎになってしまう。
で、実際「億千万」ってなんなの?って調べたら、Yahoo知恵袋先生が、「日本国民の瞳の数ではないでしょうか?」と回答。そういうことだったのか……!
グレープフルーツスカッシュのスカッシュって誰が言い出したんだろう。和製英語なのだろうか?ソーダでよくない?Chat GPTに聞いたところ、イギリス英語の「squash」が由来らしい。
昨日の日記
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