見出し画像

ブロードウェイミュージカル「シカゴ」レビュー

2024年春、来日。
アメリカ生まれのミュージカル&ジャズを全身に浴びる舞台。
最高に楽しかった!

あらすじを調べてもイマイチ内容をつかめないのは音楽を聞いたりダンスを観るための舞台だからだと思う。
物語にダンスや歌を挿入するのではなく、ダンスや歌をつなぐために物語を挿入するイメージ。
以下、ストーリー(全2幕)を紹介していく。

【第1幕】
1920年代のシカゴ。
ナイトクラブの歌姫ヴェルマ(ミシェル・アントロバスさん)は夫と妹が浮気をしているのを目撃、二人を殺害する。
一方その頃、コーラス・ガールのロキシー(サラ・ソータートさん)は愛人のフレッドを射殺して逮捕されていた。
(以降、物語はロキシーを主人公、ヴェルマを準主人公として進行する)

浮気を知られるわけにいかなかったロキシーは夫のエイモスに「強盗を撃った」と嘘をつく。
エイモスは頭の弱いお人よし。
ロキシーのことを信じる。
ところが警察から「被害者はフレッドという人ですが知っていますか?」と聞かれ、ロキシーの不倫相手フレッドを知っていたエイモスはフレッドのことをぺらぺら喋ってしまい、警察は真相(ロキシーが不倫相手ともめて射殺してしまったこと)を突き止める。
ロキシーは逮捕されてしまった。
刑務所に入ったロキシーは憧れの歌姫ヴェルマに出会うが相手にされない。
刑務所には相互扶助で贈収賄を行なう看守ママ・モートンがいた。
ママ・モートンはヴェルマから大金を受け取り、ヴェルマがナイトクラブの歌姫として華々しく復帰できるようエージェント業も行ない、メディアの「今週の殺人者」のトップになるよう働きかける。
具体的にどう働きかけるかというと、悪徳敏腕弁護士ビリー・フリン(マシュー・モリソンさん)に弁護させる。

ビリーの力でメディアの注目を一身に集め、監獄の中にいながらもスターとなったヴェルマ。
殺人の罪を犯しておきながら無罪放免になる日も近い。

ロキシーもヴェルマのようになりたいとママ・モートンに訴え、ママ・モートンに大金を渡す。
ビリーはヴェルマから離れ、ロキシーを弁護することになった。
ビリーのマスコミ操作は巧みで、今度はヴェルマの代わりにロキシーが世間から注目されるようになる。

自分の代わりにロキシーが注目されることになっておもしろくないヴェルマ。
考えた結果、ロキシーにデュエットを持ちかける。
ところが今度はヴェルマがロキシーに相手にされなかった!
そんな中、殺人を犯した令嬢キティが登場し、世間の関心はロキシーとヴェルマを離れてキティに向かう。
驚くロキシーとヴェルマ。
ロキシーは法廷でとっさに「妊娠したみたい」と嘘の告白をして再び注目を浴びる。

【第2幕】
ヴェルマも再び世間の話題になる。
ロキシーが見え透いた嘘をついているとも気付いている。

ロキシーの夫エイモスは「ロキシーが妊娠した!」と喜んでいる。

一方、ロキシーは弁護士ビリーと大喧嘩。
ビリーを解雇してしまう。
ところがロキシーと同時期に刑務所に入った女性が無罪を訴えながら絞首刑になったのを知り、ロキシーは慌ててビリーを呼び戻す。

ロキシーの裁判の日。
ビリーは以前ヴェルマから聞いていた裁判の演出計画をすべてロキシーに話し、ロキシーはその通りに演じる。
「その演出は私が考えたもので、それ私が法廷で演じて世間の人気者になるはずだったのに!」とびっくりするヴェルマ。
ロキシーは劇的に無罪を勝ち取る。
ところが常に新しいスキャンダルを追い回しているマスコミはロキシーに無関心。
キティとはまた別の新たな犯罪者のスキャンダルへ走る。
裁判をショービジネスと考えるビリーは、相変わらず意欲的に悪徳弁護を続けている。
エイモスはロキシーの味方だったが、ロキシーが「実は妊娠していない」と告白すると去ってしまう。
残されたロキシーとヴェルマはタッグを組み、新たなショーで歌い踊る。大団円。

ダンスと歌で観る舞台だけど、こうして書き出すとストーリーも骨太であることがわかる。
内容を理解できなくてもアメリカを感じられる派手な演出で楽しめる。
我々日本人なので静かにおとなしく舞台鑑賞をする癖がついているけど、フィナーレの客席の反応からは「これ観るだけで日本人もここまで精神をアメリカ化できるんだ」と感じた。
ブロードウェイのみなさんは「観客のノリが悪すぎる…大丈夫?楽しめてない?」と思ったかもしれないけど、我々「プロの皆様が頑張るんだから静かに真剣に観ないと」っていう国民性なだけでめっちゃ楽しんでますよと思ってた。
最後は「天使にラブソングを」とか「ムーラン・ルージュ」のフィナーレみたいな盛り上がり方してた。
ここまで日本人がノることはあまりないです。
カーテンコールしてほしかったな。

さて、ストーリー考察。
このストーリーの面白さの要因は何か、一言でいうなら「現代社会をとらえた風刺的エンタメだから」だと思った。
初上演は1975年ですかね。
この頃のアメリカの社会というものをしっかりとらえて風刺している作品なんだと思う。
どんな社会的背景からこの作品が生まれたのか、いろいろ想像してしまう。
人を撃ち殺しても楽しんでいる民衆。
無罪を訴えたくても話せない人。
誰もよくわからないまま執行される絞首刑。
大罪人の無罪を主張する敏腕弁護士。
殺人でも無罪。
夫をだます妻。
妻を見限る夫。
魅力的な犯罪者。
次々に新しいスキャンダルを求めるメディア……。
こんなにコミカルで楽しい喜劇なのに「不倫」「殺人」「無罪」など、不穏な言葉が数多く飛び交う。
逆にこの題材でよく悲劇にならないものだと思う。
こういうものを素朴に調理すると純文学的な作品になるんだろうけど、喜劇的ド派手エンタメにがっつり味付けしてくるところがアメリカンだった。
調べてみるとやはり事実をもとにしている部分があるらしい。
時代性をとらえてエンタメに昇華する舞台は、日本だと歌舞伎が近いと思う。
こういう作品は長く愛される。とてもよかった。

「シカゴ」の舞台の終わり方のすごいところは、最後のロキシーとヴェルマがタッグを組んで立つ新しい舞台が、それこそが、今目の前にあるこの舞台なんじゃないかと思わせる演出になっていること。
新しい生き方を選んだ二人が初めて立つ舞台がこれで、自分は運よくその舞台の観客に選ばれたんだって思える。
物語の一部に観客が取り込まれる。
この没入感がフィナーレを最高に盛り上げてくれた。

ロキシーがビリーの弁護で世間から注目されて「スターになるのよ!派手にリフトしてくれる男の子をたくさん雇うの!」と歌い出す場面がある。
曲目は『Roxie』。
Chicago - Roxie (the Name on Everyone's Lips) (youtube.com)
この曲、去年踊った。(振付は全然違うものだけど)
先生に「自分が踊ってると思わないで。青野さんが踊ってるんじゃない。今踊ってるのはロキシー。ロキシーは絶対に投げキスで照れない。ちゃんと役になりきって」と何度も言われたことを思い出した。
今回は本場ブロードウェイのロキシーを観ることができてさらに勉強になった。
……と書いてるけど、結局去年は全然(本当に全然)踊ることができなくて、ジャズダンスそのものの難しさや、役になりきる難しさ、私にはできなかったという悔しさや無力感を覚えながらも「もっと踊れるようになりたい」と強く願うようにもなった思い入れのある曲だった。
早く帰って踊りたい!
本当に楽しい舞台だった。

最後に。
ミュージカル、歌舞伎、バレエなど舞台ならなんでも大好き。
小説の世界で舞台を観られたらいいなと思って小説を書いてます。
2度文学賞の受賞候補になれたので舞台小説というものが生まれる日も、いつか…?
いや、もう生まれてはいるか。知られてないだけで。
公開してるので、お気軽に観ていってください!
「嘘つきたちの幸福」第1幕|青野晶 (note.com)

この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?