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見つかる

石の上で、小さなトカゲが日光浴をしているのをジッと見ている。

トカゲは繊細に作られた前足で踏ん張って、胸をそらして、非常に熱心である。見ている私に気付いているのかいないのか、警戒せずに、恍惚の様子で、夜の間にすっかり冷えてしまった身体を暖めている。

恍惚のトカゲを見る私の後ろから足音がする。青乃さんと呼び掛けられギクリとする。

見つかる時は一瞬だ。

私は慌てて立ち上がる。

その無遠慮な様子にトカゲは驚いたのか、たちまちに小さな影となり走り去る。姿は見えないが目の端で感じる。

「青乃さん」が出てるよ、とその人は私に指摘をする。そういえば、私はどれくらい長くしゃがんでいたのだろうか、膝も脹脛も痛い。腰は重い。足は変に痺れて感覚がない。目は乾き、こめかみのあたりに指を当てると、指の温度が気持ち良い。

「青乃さん」は、先日文章を打ち込んだ後、転送先を間違ったことをきっかけに、あっさりとSNS上の偽名を失った。

それ以来、物をやたらとジッと見すぎる、まあまあの病気ぶりは「私」ではなく「青乃さん」の事とされ、日常での呼称としても使用されるようになった。主な用法は「青乃さん、そんな風にしてると知恵熱がでるよ」だ。知恵熱を出す暮らしぶりだと言われているのは間違いなく現実の私なのだが、身近な人の様子が変である事は、本人より他者の方が受け入れにくいようだ。SNSの偽名が日常の何かに折り合いをつけさせるとは思わなかった。何事も思いがけない効能があるものだ。

一人になると、先程、トカゲが居た石の辺りを探す。

トカゲが陽に当たっている時、恍惚としているのに、なんだか思慮深く見えるのは何故だろう。分別があり、スマートで、喋ってみると多分博識なのだろうなと思わされる。それとも言葉が通じ合わないから一方的にそう思うだけだろうか。隠れたトカゲは日陰の石の側面に貼りついて、妙に生き物っぽくなっている。

私が居なくなれば、また、暖かい石の上で身体を陽に当てるだろう。彼は今夜が来るまでに、身体を温める必要があるのだ。

日暮れまでは、まだ少しある。

「くれぐれも玄関の桟の隙間には入り込まないように」

と声に出して言い、私は一人、家に戻る。






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